
出典:図解入門よく分かる最新宇宙論の基本と仕組み(宇宙137億年を旅する)
2016年2月1日の記事に使用した宙宙の図解です。小さくて観にくいのですが、この一連の画像を、スケール号の窓から眺めていると考えると、スケールの概念を身体で体験していることになります。
タイムマシンで時間旅行するイメージでも、旅行する人間は今のまま変わりませんが、スケール号の旅行も、自分のスケールはそのままで、まわりが変化するのです。
ちなみにその時の記事はこんなものでした
物質をスケールの概念から見た姿の変遷ですが、重要なことは、たった一つのもの「1なる存在」を内側に向かって旅したもので、これらの風景はみな一身同体を違ったスケールで見た風景なのですね。
さて、前回の記事に2本のコメントを頂きました。抜粋して紹介しながら考えてみたいと思います。
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(むっちゃんさんコメントより)
・・・・ざっと読んだら樹海に迷うような……そんな印象がわだかまります。
あなたは在る。私は在る。
あなたは宇宙。空。もっというなら、神。
これを信じれば救われる、という神ではない。外側に在る、依存する対象ではない。
あなたが神、私が神。自身の存在をただ認める。在る、と。
わかりません、私なりにつかんだナウイズム…5次元の概念ですが。
これも……ヘンな宗教っぽい、かもしれません(苦笑)。
間違っているかもしれませんし、歪んで解釈しているのかもしれませんけど。
スケールの概念、が出てくると、うーん、そうかもしれませんけど……となってしまいますね、私は個人的に。
何故でしょう?
わからなくはないし、スケールの概念によって時間の呪縛から(少しは)自由になるだろうとも思います。
おっしゃること、わかる…気がしますが(笑)、すとんと胸に落ちない、のです。おそらくかなり最初から。
じゃあどうゆーたら胸にすとんと落ちるねん、と言われても、さあ…?なのですが。
そのうち、木の実が熟するように、すとんと胸に落ちるのかもしれませんけど。
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むっちゃんさんの反応はとてもよくわかります。すとんと胸に落ちるのは、おそらく五次元の世界が写実として理解できた時だろうと思います。
「あなたは在る。私は在る。
あなたは宇宙。空。もっというなら、神。
これを信じれば救われる、という神ではない。外側に在る、依存する対象ではない。
あなたが神、私が神。自身の存在をただ認める。在る」
ここに使われた言葉が、すとんと胸に落ちるためには、イガイガを取らないとどうしてもひっかかるのですね。
私が思うに、そのイガイガは、宗教的な道義や感覚だったり、自分に対する情念だったり、いろいろでしょうけれど、私が云っているのは単純な写実です。
物質の世界はこうなっている。そう言っているだけなのですね。
ですから、いろいろと体験したうえで、そのイガイガが取れたとき、ストンと落ちるでしょう。それは物語の上にもきっとあらわれてきます^よ^。何せ私は、40年もかかったのですから。
むっちゃんさんが物語から発見した「虚ろ」は、きっとその写実に向かう窓なのかもしれませんね。
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(まかこさんコメントより)
今ふと閃いたんですけど
色即是空 空即是色は
物質即是空間 空間即是物質と
同様ではありませんか
つまり、
色すなわちこれ空なり 空すなわちこれ色なり
物質すなわちこれ空間なり 空間すなわちこれ物質なり
色即是空 空即是色=物質即是空間 空間即是物質
仏教での宇宙真理=五次元宇宙スケール概念
宇宙今空間円相螺旋!究極的には同様ですよね
阿吽~☆♪
アッ!と言ってウン!とうなずきました^よ^;;
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まさに、おっしゃる通りです^ね^。
色即是空は仏教が伝える宇宙の真理だと私も思います。
そして驚くことに、科学もこの宇宙認識に近づいているということですね。
実際私は、この色即是空に興味を持ちながら、経典の壁に阻まれました。一つを理解しようとすれば、あれこれの経典が必要ですし、私などその以前に、読み解くことすらできないわけですから、真理を知る前にいのち尽きる訳ですね。
教えを乞うなら、これも教団に身を縛られる。それも耐えられない性ですので、仕方なく宇宙のことを、自分のわかる言葉で考えてきたわけです。
ちょうど宇宙論のイメージが夢うつつの中で見え、急いでメモしたのが1977年、今から40年前のことです。
宇宙論が本にまとまったのが20年前1997年のことです。
それから現在までの20年間は、ひたすら、自分の中でその内容を反芻しておりました。私の創作活動はその糧であり、道場のようなものだったように思います。
そして、まかこさんの阿吽のごとく、五次元宇宙は、色即是空と科学を橋渡しする位置にいることに気付いた訳です。
つまり、
五次元は、その両者を受け入れることのできる、私たち一般人の土壌となるのではないかと思えたわけですね。
いずれにいたしましても、真実は私たち一般人にだって、真実なのですから、私たちの理解できる言葉で理解したらいいのだと思うのです。
そんなわけで、今日は、お二人のコメントに
感謝と、御礼をこめまして、書かせてもらいました。
ありがとうございます。
また来ました☺
概念、というより写実、というブログを読んで、少しイガイガが取れた気がするわからんちんのむっちゃんであります。
絵描きさんだなぁ、という気が少し。
物(物質)を言語で表現するのにかかりきっておりますと、物(物質)そのものを見つめることがおろそかになるような。
昔から何度かそんな危機をバクゼンと感じ、あえて『言葉で表現しない』よう努める事がありました。
でもその時の、『言葉で表現しない』で流してきた経験などが、今現在言葉で表現しようとした時、ふっ、と出てきたりします。不思議なことに。
人生に無駄なし(笑)。
生きている、って面白い!
基本、散文的な楽天主義ですので、そんな能天気なことを考え、ほくそ笑んでいる昨今であります。
その時寸法が合わなかったものが、会うようになるというのは、自分が進歩したからなのでしょうね。
ナウイズムの欠点は、その進歩に気付かないということですから、時間の観念をこのように使って自分を見るのは、一つの模範でしょうね。
人の生きようをいちいち解説すな!
はい、はい、
申し訳ございませ^ん^。
用があって、大阪市内へ。
時間に余裕があり、長居公園をブラブラ歩いているとふと浮かぶ、架空の王国の、官僚の青年の台詞。
『夢で、いけませんか?』
『虚ろの玉座が見る夢でも…いいんじゃないのでしょうか?』
『虚ろの、何がいけないのですか?』
『確かなものって何ですか?『確かなもの』にしがみつくのなら、老リュクサレイノと同じじゃないのですか?(老リュクサレイノは敵役)』
そういう意味のことを彼は切々と、己れが忠誠を誓った王(即位前)へ言います、涙ながらに。
少年の頃から己れの激しい『虚ろ』に怯え、突き動かされ、必死で生きてきた王子様の、エポックメイキングになるのか?
このエピソードが活きるのか、はたまた別のエポックメイキングがあるのか。
作者にも不明。
でも……彼に立ち上がって欲しい。
災厄を含めた危機や変化を恐れずに。
書きかけの作品のあれこれを、ヒトのブログのコメント欄に書くな。
はい、すみません。
これは、ほっとけない
ぶつぶつ言うやつは、ぶつぞ
虚ろは夢なのか現なのか
夢の中の虚ろは万人にあり
現の中の虚ろは・・・・・
いろいろと楽しんでください^ね^
こればかりは作者の特権ですから、
喫茶室ですから、
私もよく、喫茶店でコーヒー一杯でねばって、原稿書いてましたから
ぶつど と言われれば
どうぞ