
ワンネスとは
一体性や調和を意味する言葉であるが
私は自分の存在そのものを
ワンネスと考えている。
つまりここで展開しているワンネスの考察は
自分という存在をどこまで拡げて考えることが出来るのかという挑戦である。
結論から言えば
自分存在は宇宙そのものにまで拡張してゆくことが出来る。
自分という存在は宇宙に等しいのである。
この前回までの考察は
身体を、肉体(物質)と空体(空間)の二面性を考えれば理解できる。
それを再確認すると、
①肉体は物質がつくる存在であり、
この身限りの存在が限界として実感できる。
すなわち私達は有限なのだ。
しかし認識をさらに広げると、
②物質が肉体を創るのは空間の力である。
空間無くして肉体はあり得ないという事実に行き当たる。
すなわち肉体に対して、それを生かしている空体が存在する。
つまりワンネスとは
肉体と空体の調和した存在なのである。
それを身体と呼ぶ。
その調和をどのように認識し現実感をもって理解できるのか
その最も単純な形は
私達が当然のように見上げている月の姿である。
月を見て現実感を持たないものがいるだろうか
そこに最も単純明快に表れた
物質と空間の関係を観ることが出来るのである。
全てはあのように
物質は空間に浮かんでいるのである。
自分の体内に意識を向けると
この肉体を作っている素粒子をイメージすることが出来る。
このイメージは科学の力なのだが、
現代人の心はすでにこのイメージを簡単に描くことが出来るまでに成長している。
つまり素粒子もまた月と同じなのである。
素粒子が浮かんでいる空間の広がりなくして肉体はない。
ならば肉体と調和する空間を空体と呼ぶことが出来る。
私達は有限である肉体が無限の空体と調和して初めて
その全体を身体、すなわち自分(自らの領分)と認識できるのである。
ここまでが前回までの話の内容なのだが、
スケールの概念はさらにその先に進んで、自分を空間に誘うのである。
どういうことか。
肉体が空体と調和しているとは
月と同じように身体が空間に浮かんでいるということでもある。
しかし身体のもっとその深部には
空間があって、素粒子が浮かんでいる。
これがスケールの概念が見せてくれる人体のイメージなのである。
この時、素粒子を結び付けている空間は
体内に閉ざされた宇宙なのである。
重要なのはこの体内空間の正体なのだ。
それは何か?
言うまでもない
それこそが思考エネルギーなのである。
私のいう思考とは
論理的思考だけではない。
感情も思考
感覚も思考
感性も思考
全て頭脳によってそのエネルギーを具現化していると考えられるのである。
故に人生の喜怒哀楽の一切が
この体内空間にエネルギーとして渦巻いている。
このエネルギーの塊は
肉体と全く同じ理由で
空間に浮かんでいるのである。
体内空間のエネルギーの結束が強いために
体外空間がその周りを取り巻くという現象が起こっているのだ。
もう一度言おう。
私達の苦しみや喜び、
体験も感情も感覚もその実感も、
諸行無常を実感している一切の感情は
心のエネルギーの塊であり
それらは一切が
空間に浮かんでいるのである。
空間に浮かんでいるのは肉体だけではないと言うことだ。
空体もまた空間に浮かんでいる。
大事なことはこの空間のイメージが持てたら
肉体と空体の調和した自分を
丸ごと抱きかかえている空間を知ることが出来るということだ。
どんな苦悩も否定しなくていい
なぜなら
その苦悩そのものが
より大きな空間によって抱かれている。
愛がそこにあるのである。
自分というワンネスは
この愛によって
完全に宇宙と調和し一つになる。
これを悟りと言わずに
なんと言えるだろうか。
注
この連載中、身体と肉体を混同して使っていることに気付き改めて修正しました。
すなわち身体の物質の側面を肉体と呼び、区間の側面を空体と呼ぶ
身体はこの肉体と空体が一つに調和した存在である。
今後以上のような関係を意識して言葉を使います。
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