5次元の概念を意識的に持ち続ける日々が続いている。
昨夜、眠りの最中に思考が動くのに気付いた。
私は空間を漂っていた。
意識はスケールの概念をとらえていたが、私の漂う空間はいつまでも空間だった。
浮かんでいる空間に気持ちを注ぐとスケールの概念は消えた。
眠りながらそんなことを考えていた。
そして突然、この空間こそ、私自身であり、私の本質なのだという理解がやってきた。
私は自分が眠って . . . 本文を読む
身体で十字架を作ってみる
すると両腕は時間の軸を表し、頭と足の線はスケールの軸を表すことになる。
両腕の線に沿って時間の次元が無限に伸びていく。その両手を合わせると過去と未来がつながり時間のループができる。
すると垂直に伸びる頭足の線がイメージに浮き上がって来る。これがスケールの次元なのだ。
足下の大地、地球。太陽系に属する素粒子だ。
太陽系に似た無数の星団とともに銀河が出来ている。その . . . 本文を読む
私は宗教を否定しない。
科学を否定しない。
だがどちらも、私の100%ではないことを強く思う。
宗教は心を生きる上で比類ない大切なものだが、信じるという行為に私は自分自身の嘘を感じてしまうのだ。
科学は人間の文明を作り上げ、宇宙といのちの仕組みを解明しようとするが、理論の限界を思うのは私だけではないだろう。
私はただ、100%を生きたいと願う。
それだけのことなのだが、最後の数パーセン . . . 本文を読む
原点に座る。
命を懸けて座ることが出来るのか。そう何度も自分に問いかける。
5次元に生きるために決心がなぜ必要なのか。それは私の心があまりにも時間の意識に強く支配されているからだ。
意識すれば5次元の原点に心を持ってくることはできる。5次元が見せてくれる世界を瞑想して旅することもできる。
しかし実生活に心をゆだねると、息苦しい霧のようなもので心が曇り始める。
あれこれと、生活の機微が心を . . . 本文を読む
五次元によって認識する世界はどんなものか。頭の中でイメージを膨らませる。
私は地球の上に立っている。地球は丸く、その真下にはブラジルがあってサッカーワールドカップ真っ最中だ。この地球は自転しながら太陽の周りを巡り、人の眼には一日と一年という変化として映る。
この私の体を作っている物質の最小の単位は素粒子だ。それを確認したことはないが、科学の力でその姿を認識することが出来る。
五次元の概念で観 . . . 本文を読む
スケールの概念とは自分の身体の大きさのことだ。ガリバーの冒険を思い出せばいいかな。
今このときの身体のスケールを1としたら、その半分の大きさの自分が想像できる。
するとまたその半分のスケールに縮小した自分を想像する。そしてこの空想は永遠に続けられる。これが先に見たパラドックスだ。
ミクロの決死圏という映画はその想像が作り出したもので、私たちには小さなスケールになった自分の見る風景を空想する力 . . . 本文を読む
5次元に生きる私の実験は1日24時間、果てしなく続く。
生活は何変わることなく、いつもの通りだが、違うのは常に自分の心の動きを観察しているということだ。
何を観察しているのかと言えば、それはやってくる苦悩の姿を見落とさないということだ。
どんな些細な心の曇りも見落とさない。
そしてやってきた苦悩を否定せず。嫌悪もせず。ただひたすら受け入れて眺める。
心の痛みはそのまま抱き留め、痛みが喜び . . . 本文を読む
時間の概念と、スケールの概念は、数学で使う座標と同じような関係を持っている。
時間をX軸とすれば、スケールの概念はY軸に対応する。
すると原点0は今このときということになる。
心がX軸に沿って動けば時間が動きだし、Y軸に沿って動けば人は実在の中を旅することになる。
飛矢飛ばすという面白い話を学校で聞いたことがある。
的に向かって放った矢は決して的に届かないという話で、こんな内容だった。
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