5次元に生きるものには生も死も存在しない。
あるのは今この瞬間だけだ。
5次元を認識する人間はこの瞬間だけが真実だということを理解する。
するとどんないいことがあると思う?
4次元しか知らない我々の生活を考えればすぐにその答えはわかるだろう。
私たちはほとんど瞬間に生きていることがない。
心配事がいっぱいだし、明日なりたいことがたくさんある。
意識は常に過去と未来に向かっている。
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5次元を生きるというのは、空を生きるというのと等しい。
なぜなら
5次元の概念から見えてくる真実とは空間のことだからだ。
空は無限の宇宙に広がっているだけではない。同じこの空が私の体の中にもある。
空を隔てるものは何もない。
風船は空気を隔てて膨らむが、空はその風船の膜の中にも途切れることなく広がっている。
それが唯一無二の存在に対する正しい理解なのだ。 . . . 本文を読む
組作品「浄土」の展示を見ていただいた和歌山のお寺の住職から、
作品の写真を所望された。
そんな連絡を受けて、Yさんのお世話で作品写真をまとめて浄光寺に持参した。
永代経の応援導師に来られていた一人で、作品が印象に残り、寺に帰ってその話をしたら写真でもいいから見てみたいという事になって浄光寺のご住職に話を持ってこられたということだった。
初めて具体的な評判を聞いた思いがしてうれしかった。
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雑草の茂ったどんなに広い荒野でも、
その雑草を一本残らず抜いてしまおうと決心したときから草引きは始まる。
いつ終わるとは考えず、
一心に、一本一本、草の中心を見極めて引き抜いて行く。
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意識を変えると人生が変わる。
それは意識が心を作り上げているからに他ならない。
そして人は意識を変える力を与えられている。
私の実験では、5次元の意識を簡単に持つことが出来た。
そこから見えてくる人生は神の中にあるというのが、意味的に最も近い気がする。
5次元の意識を通して自分を見れば、己は粟粒のようなもので、私の人生はこの粟粒のような自我に支配されて半世紀をおくってきたのだと思うように . . . 本文を読む
5次元の概念を念頭に置いて思考を繰り返す。
それを自分の実生活に適応させようという思考実験を始めて、およそひと月が過ぎた。
最初は4次元の思考が邪魔をして、波のように苦悩と不安が押し寄せていたが、それを楽しんで乗り越えようと思ってから、頭脳が5次元の概念を受け入れたように感じる。
私の私による私のための実験を、何を持って成功とするのかは結局私の感覚の中に留まるばかりで、このブログに何を書いて . . . 本文を読む
意識を宇宙に向けると時間の感覚から解放されて、いまこの瞬間に生きている自分とめぐりあう。
頭脳が5次元の観念に慣れてくると、意識が宇宙に向かって開かれていく。
宇宙と一つだという思いが、しみこんでくる。 . . . 本文を読む
4次元から5次元に思考を転換しようとすると、
当然4次元思考の抵抗は避けられない。
私の思考実験はまさにこの抵抗と克服の繰り返しだ。
2日間、強烈な抵抗に見舞われた。
私はこのまま廃人になっていく。誰からも見放され、一人孤独に押しつぶされるだろう。
5次元思考と大層なことを言いながら、そんなものは小さな言葉の遊びではないか。
行き着くところ、私は空間だという。それから先はどうなるのかね . . . 本文を読む
5次元の世界観は全てが一つの世界だということだ。
私という存在はその全一の一部であり、大海の一つの泡に等しい。
その事実を悲観するのではなく、積極的に受け入れて世界を見る。
これが5次元の根本になる。
宇宙の泡ならば、
不都合と思える私の一切の汚点も、それは私の責任ではない。
鬱を抱える一切の心をそのまま手放すことが出来る。
私を保ち、その体裁を整える必要などどこにもないことになる。 . . . 本文を読む
40年以上絵を描き続けてきた。
私の求めるものは、己の真実に出会うということだった。
己の真実は心の芯にあるという思いもあって、ただひたすら心の風景を求めた。
そして行き着いたのが、5次元だったと思うのだ。
ここ数日、5次元の中で絵を描いている。
5次元の中の私は空っぽだ。すると真実が私に向かって流れ込んでくる。
充実感とともに、私は空っぽのままキャンバスに向かう。
ただそれだけのこ . . . 本文を読む