今回あるきっかけで
一年ほど前に投稿しました「子供にもわかる般若心経」の記述を改訂しました。
それは思索が深まった結果、今まで分からなかったものが
実感を伴って理解できたことがあったからです
そのことはのちに書くとして、
とりあえずその本文
を紹介しま
す
:
本物に出会う心の本
眼に見えないものでも見ることのできる仏様がいました。
  . . . 本文を読む
ある公園で見つけた般若心経の石碑
前回到達した五次元思考が心を急に押し広げてくれた。
これは長年自己検証してきた私の心が実感したことです。
苦をだれよりも敏感に感じ
そこから逃れようとあがく私がいました。
その私が苦を受け入れたのです。
苦を正しく観ることが出来ました。
すると
恐れていた苦は、広大な苦ではない空に取り巻かれているのが分かったのです。
それは空に浮 . . . 本文を読む
こころに芯があるなら
それは五次元によって認識される何かだ。
それは言葉で表し難いが
名を付けるなら
「宇宙語」
がふさわしい
無限のたまごが
無限のヒヨコを生み出すように
トロッとした体液が
みな迷わずヒヨコになる
この不思議な
仕組みを
伝えているのが
宇宙語なのである
あるいは
無数にある素粒子が
てんでバラバラに動かないように . . . 本文を読む
五次元とは何か
それは人間の思考が成り立つために必要な五本の柱のことである
この世は混沌としている。
つまりこの世界を理解するためには、混沌の中に動かない支柱を立てる必要があるのだ。
本来人間はその柱を五本持っているのである。
これを五次元という
一本柱の思考だけでは
永遠に続く一本道を思い描くことが出来るが、その他のことは混沌のままである。
&nb . . . 本文を読む
自我が全て
まずその意識を持たねばならない
なぜなら
それが事実だからだ。
私達は一生
自我から抜け出ることが出来ない
見るもの聞くもの嗅ぐもの食べるもの感じるもの行うもの
そのすべてが自我なのだ。
人を思う
その思う人もまた自我であり
人の仕打ちに竿を指すのもまた
自我である
ゆえに自我を捨てると
私は逆転して
宇宙に還 . . . 本文を読む
コロナ禍の大波の下でやり遂げられたことに感謝でいっぱいです。
この体験は今後貴重な思い出となると思うほど、スリリングな毎日でした。
まずは無事終了したことに御礼申し上げます。
今回ほど内面の上昇を見た機会はありませんでした。
まるで切り立った山頂の稜線を伝い歩くような緊張感に、身が引き締まるような現実感を感じました。
五次元が人というあり方にどうかかわっていく可能性が . . . 本文を読む
2020年一月個展風景
↑ 画廊ぶらんしゅでの第一回展から
二年が経ちました。
この間、五次元思考はコロナの影響もあって
深く進みました。
身体と空体という人間の切り離せない関係を発見し、
意識が空体に移ることによって
五次元の世界観は
宇宙と私が一体であることの事実が
実は最も身近な目の前にあることに気付いたのです。
至福はそこからくる。
. . . 本文を読む
空体と身体
人間は認識の新たな方法(概念)を習得するだけで世界を大きく変える。
その認識の進化をあらためて見ると次のようになるだろう。
↓
①植物の世界 0次元
認識の概念を持たないために、今いる点だけが世界になる。
↓
②モグラの世界 1次元
世界は一本のつながった線であるという認識。線の概念は前と後ろしかない
↓
③犬の世 . . . 本文を読む
空体を駆ける (キャンバスに鉛筆)
私は確かに存在する
そう確信するのは
この身体があるからだ。
自分の存在を
身体を通して
認識しているのだ。
哀しいことに
この身体は
生まれ
やがて死ぬ。
しかし
私達はほぼ例外なく
死んだらどうなるのかと考えるだろう。
これが
空体の . . . 本文を読む
自動筆記鉛筆絵画 空体の龍
前回記事の
要点を引き継いで、
空体+身体=私の
真実の姿をイメージしてみる。
このシリーズの
終着点である。
(0)
目覚めて眠るまで
私達は自分を意識して生きている。
その中心にある精神世界、
感覚と思考がある。
喜びも苦悩も、希望も絶望もそこにあって
命ある限り
それを体験し続けるのだ。 . . . 本文を読む