本願という言葉を得て、半月あまり思考実験を繰り返している。
人類の覚醒を願う。それだけで生活が成り立っていくのかということだが、まわりからちょっと変な顔をされることはあるものの、全く普通の生活ができる。普通に仕事をこなし、普通に家庭生活を送ることもできる。問題はない。
思考の中心に自我がない。
この「本願」による思考に切り替えるだけで、至福は長く私に留まるようになった。不安もない。
それで . . . 本文を読む
本願というのは、人が生まれてきた真実の道に向かいたいという願いのことだ。
つまり、人の本当の姿を理解すれば誰でも本願を持つことができるということを意味している。
人類が一人残らず幸せになる道がある。
本願はその道を照らしている。
4部作「浄土」の最後のテーマとなるべき言葉だ。
「浄土」は何も見えないままに描き始めた。出来るという奇妙な確信があって、高台から飛び降りいるような気分で、浄光寺 . . . 本文を読む
「浄土」苦楽、2枚目の作品途中の画像です。
苦楽の道を歩みながら、何億もの人生が進んでいく。虫が光に向かうように、人は何かに向かっている。
自我の中だけを見ていれば人はみな己の幸せを求めて生きているように思えてくる。
ときには味方であり、時には敵となって、己の外に様々な人生を意識する。
個展という言葉は、私がそんな己を主張するために使う道具のようなもので、そこにある願いは有名になるといった . . . 本文を読む
己を穿つ。それがのしてんてん絵画の進む道だと思い定めて、浄光寺の奉讃会に行き着いた。
それが日程のことで、御住職に思わぬ難儀を振り掛けてしまった。
電話の向こうの御住職の声がいつまでも頭に残り続けて、心が曇ったままだ。
心が曇ると、苦悩が生まれる。心のエネルギーが行き場を失い自我の中で淀み苦しくなるのだ。この苦しみはどこから来るのだろうか。
数日私はその根っこを探し続けた。
そのためには . . . 本文を読む
苦楽のテーマ4枚作品のうち、一枚が完成した。今はその2枚目を作成中だ。
その間に、本願という言葉が私の中で大きく響くようになった。ようやく「浄土」の案内状を印刷して配ってもいいという自信を持てるようになってきた。
案内用のポスターの最終案を前日御住職にお渡ししていて、その可否を電話で伺った。
内容についての了解は得ているので、使用した文字などの誤りがあれば修正するつもりだったのだが、電話の向 . . . 本文を読む
御正忌(ごしょうき)に1日だけ参加させていただいた。
親鸞聖人の命日を機縁に行われている本願寺最大の年中行事だそうで、浄光寺では9日~15日に行われる。
その日、御住職はおられず、お内儀さんが導師を務められていた。
本堂の前に立っている親鸞聖人の像がふと、私の内側に立っているような気がした。
元旦の法要でつい出しそびれてしまった個展の案内チラシを、講話の後お内儀さんにお渡しした。これで了解 . . . 本文を読む
私の本願とは何か、いうまでもなくそれは「浄土」を完成させることだ。
それが私の道につながる。
世界は宗教を超えて一つの心になることができる。人は誰でも、地球人の心を持っている。宇宙につながる愛をはぐくむ力を持っている。人はそのことに気付き始めている。
60年己を見つめ続けてきて、私にもその力があることを知った。私にあるのなら、地球上のすべての人にそれがある。あるというより、それこそがヒトの正 . . . 本文を読む
心が宇宙とともにある。その理解が与えてくれる感覚はセックスのただなかにいる至福と言える。宇宙との交合はヒトもネコもすべての生き物に等しく与えられたまさに至福のシステムだ。
私はこの理解が、行き着くべき最後の地点だと思っていた。
その思いを揺るがせ、私を再び苦悩に突き落としたのは何か。
癌病を患いながら、僧職を全うする住職の姿がなぜ、私に苦悩を与えるのか、それがわからなかった。
原因のわから . . . 本文を読む
「浄土」苦楽を描きながら、その先を見据えている。
門をくぐったその先にある世界、真実しかないその世界をどう描いたらいいのか、
その答えを求めながら描くのがまさに「浄土」苦楽と言っていいだろう。
しあわせを求めて、苦悩と戦ってきた、その前には無抵抗な心が苦悩にさらされ続けた時代があった。
やがて苦悩と戦うのは誤りだと気付きはじめる。苦悩はやってくるものではなく己が作り出している幻想なのだとい . . . 本文を読む
私にとって信仰とは、そこに毛一本の偽りもあってはならないものだ。
居心地の悪いものはどこかに偽りを含んでいる。
そのために私はどの宗教にも帰依することができないで生きてきた。
これまで触れることのできた宗教のどれをとってみても、ありがたい教えであるのは知っている。キリストも釈迦も、真理を得た人たちであることは疑いない事実だ。
教えは2千年を超えて伝えられてきた。教えとともに生きればいい。
. . . 本文を読む