アトリエの道路むかいにあるビルの解体が始まった。一日中騒音が絶えないで、その音にも慣れたころだった。
2階の窓を開けると、その現場がすぐ真近でに見えることに気付いた。
寒い中窓を開け放して、ストーブを抱えながら一時間ほどそれを眺めていた。実に見事な作業で、隙のない無駄のない工人と機械の動きに魅了されたのだ。
機械が巨大なロボットのように見え、的確にビルを崩していく。
そのうちに解体ビルを覆 . . . 本文を読む
壁面に浄土を展示することが出来ました。
これがオープニングの展示です
第2週目は中心を2極にする構図を試してみました。
自分でも今までミニチュアでしか見たことのない画面と対面しました。
展示は2月9日までです。 . . . 本文を読む
年末から体調を崩し、何度か医者にもかかって、動きが鈍い。
身体の衰えをいやでも見せられる。
そんな時、私はいつも瞑想する。
自分の呼吸を見つめ、鼓動のリズムに乗っていると、
今kの瞬間の新しさが見えてくる。
衰えではない
それは新しさなのだと気付く。
心がその場所に立つと、日差しが差し込んで暖かさが広がる。
いつの間にか、
生まれて初めて出会う自分の姿に
私は胸ふくらませている . . . 本文を読む
不思議なことだが、これが私の初めての経験だったと思う。
突然襲ってきた無気力に抵抗しなかったのは。
心のどこかにそれでもいいという、そんな気持ちがあった。あきらめではない。何か安心感のようなものだった。
何もする気が起こらなかった。ダメ人間に陥った自分になぜか不安は起こらなかった。そしてそれだけを見つめ続けていた。
何もかもが意味のないもののように思え、体の衰えも加わっての無気力が見えてき . . . 本文を読む
東大阪、石切神社の西、歩いて15分のエリアに、新たなシステマギャラリーがオープンします。
今月17日(土曜)~2月8日(日)の会期で杮落しの日本現代展を開催します。
15mの壁面に、私の組作品「浄土」がほぼ完ぺきな形で展示します。
これまでお寺の本堂で、屏風仕立てで巡回展示してまいりましたが、今回は各パーツを一点ずつ壁にかけることが出来ますので、その場で自由に作品を組み替えて鑑 . . . 本文を読む
昨年5月に浄光寺から巡回展示を続けていた、のしてんてん絵画「浄土」が、初めて制作意図どうりの展示をすることが出来るようになりました。
今月17日から2月9日まで、東大阪にできた新しいギャラリーシステマで開催されるNEO-JAPO2015・日本現代展で、10数mの壁面を与えられたのがきっかけです。
上の画像は、ミニチュアのパーツを組み合わせたもので、4枚一組として4つのテーマで描いた総数16枚の . . . 本文を読む
一枚の絵を描き終えた。
無気力はそこからやってきた。
その無気力はどうも、その前からあったらしい。
それが、とりあえずこの絵を描くという行為でまぎれていたのだ。
絵が完成した途端、自分に何もする気力がないことに気付いた。
今、何でもいい、機械的に動く義務のようなものがあれば、この無気力はまたその行為の中に埋没する。無気力に気付かないで義務を果たし続けるに違いない。
思えば、それが私の勤 . . . 本文を読む
無気力
2015-01-11 | 日記
お絵かきするのもめんどくさい。
心の中にぽっかり空白がある。その空白に何も感じない。
罪悪感のようなものが顔を出すと、まだそれは無気力ではない。
このままではいけないという思いが、まだ生きている証しになる。
無気力は、心が何も動かなくなる。
それが私の、突然やってきた症状だ。ただ眠い。
精神の死とはこういう事なのだろうか。
長い人生の中で、私が成長してきたと確信できるのは実は今なのだ . . . 本文を読む
気力がうすれている
今はそれを眺めているだけだ。
いったいこのままどうなるのか。
この気力というものは何なのか、どこからきてどこに行くのか。
ついきのうまであった気力が、何かのきっかけで失せた。
何もする気が起こらない。
出来るのは、ただこの状態を眺めているだけだ。
眺めてやる
とことん眺めて、その正体を見つけるのだ。
無気力の今、
それだけが私の生きる証しだ。 . . . 本文を読む
年賀状
2015-01-04 | 日記
年賀状を減らそうと思いながら、結局毎年同じような枚数が必要になる。
なかなか切れるようで切れないのが年賀状だ。
どこまで出すのかと悩むのもこの時期なのだが
そのくせ、10日も過ぎればすっかり忘れている。
頂いた年賀は、印刷ものだったら5秒ほど目を通すだけで、ほぼ2度と見ることもない。
私のものも先さんで同じ扱いなのは当然のことだろう。
来年もきっと、同じことを繰り返していると思うのだが . . . 本文を読む