イントロが流れる。切ないバラードのメロディーは、どこかたどたどしいピアノで奏でられると妙に胸がつまる。不器用な男の哀しい恋が、図らずも表現されているような。
芸達者な年配者たちの合唱が始まった。
バロン氏はもちろん、オカリナのジンさんも今回ばかりは声を張って歌う。
「マスターのそばへいってください」
所在なくぼんやり突っ立ったままの僕へ、不意にレイちゃんは言う。訳がわからないまま、 . . . 本文を読む
紙芝居は続く。
次の場面は、優しい目で軽くほほ笑み、背筋を伸ばして立つこがらしの若者の横顔だった。彼の視線の先には、枝先で赤ん坊のようにあどけなく眠る黄緑色の若芽があった。
「厳しい季節を知らせる、みんなから嫌がられるだけの仕事。それが『こがらし』だとずっと思ってきました。……でも」
こがらしは自分が、誰かに待たれている存在なのだと気付いた。
「こがらしさ . . . 本文を読む
厚紙に描かれているのは、緑色の字のタイトルと、桜か何かの落葉樹一本と風に舞う赤い木の葉。鉛筆とパステルで描かれた柔らかい風合いの絵だ。線に素人っぽい拙さがあるものの、可愛らしい雰囲気の絵だった。
「これは私が、知り合いの風からきいた話です」
オカリナの音が響く。彼女は厚紙を入れ替える。絵は、灰色のグラデーションの中を歩く寂しい目をした若者に変わった。彼が『こがらし』らしい。
ひとりの風 . . . 本文を読む
1コーラスを『ららら』で歌った後、彼は一瞬、何故か黙った。軽く咳払いをし、妙に楽しそうににやっとした。
息を深く吸い、再び彼は朗々と歌う。
「うらのはたけで ぽちが なくぅぅぅう」
は?
哀愁のメロディー。しかしそれにそぐわない歌詞。頭が混乱する。
「しょうじきじいさん ほったならぁぁあ」
眉根を寄せ、ごくごく真面目にロマンスグレーの伊達男は歌う。
「おおばんんー こばんがぁぁ . . . 本文を読む
扉を入ってすぐが『舞台』という感じなのだろう。覗くと、『舞台』を囲むように観客席風に木製のテーブルと椅子が並べられていた。飴色っぽい光沢の、年代物のテーブルセットだった。
中にいた観客は十数人ばかり。一瞥で年配者が多いのがわかったが、こちらへ愛想良く笑みを向ける顔色は明るく、それぞれ洒落っ気のありそうな年配者だった。
六四から七三で男性だったが、女性陣も皆、一筋縄ではいかない面構えの淑女 . . . 本文を読む
⓶ One more time, One more chance
僕はその日、あてもなく茫然と町を歩いていた。
風薫る初夏。さわやかな季節。
街路樹すら新しい葉を風に躍らせ、光り輝く季節だ。ちらちらと揺れるやたら眩しい木漏れ日を、立ち止まって僕は見上げる。
空は青く澄み、雲はあくまでも白い。
素晴らしい季節だ。
僕には関係ない。
職場で . . . 本文を読む
この度、さるお方からドンとデーターが送られてまいりました。
皆様ご存じ台所のマドンナ、かわかみれい氏からの、
「喫茶のしてんてんへようこそ」第二幕の開幕を告げるお便りです。
ご来場の皆様、開演間もなくでございます。お静かにお席に戻られますようお願い申し上げま^す^。。
照明がスーッと引きまして、さーっと緞帳が上がるかと思いきや、
その緞帳の前で、何やら始ま . . . 本文を読む
ことり、という音にはっとした。
テーブルの上にマイセン風の、縁に金を施した華奢なカップとソーサー。艶やかなコーヒーがそれに満たされ、かすかに湯気が上がっている。
「どうぞ」
マスターの声。思わず見上げると、彼はにこりと笑う。
「うちではブレンドコーヒー、おかわり自由なんですよ」
いつの間にかテーブルの上は片付けられていて、新しいコーヒーだけが載っていた。
私は思わずもう一度、マ . . . 本文を読む
彼女は、さっさっさ、と何かを取り出して作業台に載せ、大きめの鍋に水を張り火にかけた。袖をめくり、隅の手洗い場で丁寧に手を洗う。手洗い場から戻ると包丁を取り上げ、さくさくとんとんと小気味のいい音を立てて何かを刻んだ。
頃合いを見て彼女は、鍋へ乾麺らしいものを入れる。パスタだろう。合間に器の用意や、使い終わった道具類を洗ったりしつつパスタの茹で加減を見る。やがて鍋の隣のコンロで刻んだものを炒め始め . . . 本文を読む
私は立ち止まり、彼女が入っていった店を見渡した。
通りに面して飴色の木の扉。やはり飴色がかったガラスがはまった窓が、通りに面してある。窓枠は今どき珍しい木製だ。窓のはめられたガラスも古い時代のものなのか、それともレトロ調に加工したものなのか、光の屈折具合が少しゆがんでいる。が、逆にそれがあたたかみのある感じで悪くない。
そのレトロな窓の下、イーゼルへ横長にキャンバスが立てかけられ、『we . . . 本文を読む