カトマンズーの中心にあるホリーヒマラヤは無事だと聞いた。
親切で優しい従業員の方々も、無事だということで、よかった。
鉄筋の入った建物は崩壊をまぬがれたが、圧倒的に多いい家屋は、石と土壁で作られていて、ほとんどが崩れてしまっているという。
ニュース写真はそんなところばかりが写っている。家にいた人々は家屋の下敷きというより、土石に埋もれてしまっている感があって、いたたまれない。
上の写真は数 . . . 本文を読む
日を追うごとに被害が拡大していく。
数年前、カトマンズーで世話になったホテル、Holy Himalaya はどうなったのだろう。みなさんの無事を心から願っています。
神戸の30倍の規模と今日の新聞には出ていた。
倒壊した建物の映像が痛い。
支援の手が広がり、一刻も早い復興がありますように。 . . . 本文を読む
早朝、いつものように浜の雑草とゴミ拾いをしていると、街路樹の向こうに大きな太陽が昇ってきた。最近、オレンジの太陽がとても大きく見える。
私は敬虔な気持ちになって座り込み、すべてを投げ出すように朝日をみつめた。
太陽の前を、逆光の街路樹が動いて行く。
なぜかはわからないが、自然に私はそう感じていた。
そう思った瞬間、私は船に乗って風景を見ているように太陽を観ていることに気付いた。
そう!! . . . 本文を読む
絵は下手で、はなからそういってあきらめている人がいる。
何をしたらいいのかわからないと無趣味にあきらめている人がいる。
そんな人に是非知ってほしいことがあります。
それは線を引く楽しさです。
絵が下手でダメと考える人は、絵というと、リンゴや花などを上手に描かなければいけないと思い込んでいるようです。
確かに画廊で扱うような絵は価値がありそうですが、それは絵の世界の小さな側面でしかありませ . . . 本文を読む
私の最も古い苦悩の記憶は母の涙だった。
炬燵があったので、まだ寒い日だったのだろう。両親の激しい喧嘩の末、母が横にいた弟を炬燵の向こうに座っていた父に投げ、私の手を引いて家を飛び出した。
「この子だけいたらええ」その時の母の言葉がこびりついている。
私は母の連れ子だったということを知ったのは随分後のことだったが、母との特別な関係を体の方から先に覚えたのだ。
母は私の手を握ったまま、川べりの . . . 本文を読む
苦悩から目をそらさずみつめ続けていると見えてくることがある。
苦悩は神=いのちを正しく生きるためのシグナルだということだ。
しかしこの理解の道筋にはまだその奥があった。
「苦悩は神=いのちに向かう道しるべ」という理解のその奥にこんな真実に行き当たった。
つまり苦悩は、まさにこの苦悩そのものが起こっている場所、その場所を私に指示しているのだということだ。
そう理解したとき、私は苦悩を生み出 . . . 本文を読む
PCの環境はどんどん変わっていくが、ついて行けない~~~
お絵かきソフト付のブログだが、セキュリティーの関係なのか、使おうとすると警告が出てなかなか進まない・・・・。
この前JAVAの更新をクリックしたら、ついに使えなくなった。
子供に頼み込んで何とか使えるようになったが、何が何だか分からない。
進化はいいのだろうが、その背景には適応出来ないものの不便が無限に増えてくる現実がある。
進化 . . . 本文を読む
退職後、ほぼ毎日絵を描き続けた。
最初は一日24時間という自由時間を使いきれない、宮使いの習性に悩まされたが、やがて自分を使い切る生き方に慣れてきた。
たっぷりと時間をかけて、今まで描けなかった絵を描いた。砂粒一つ一つを描くイメージで大きなキャンバスに向かった絵が評価されて、2本の賞もいただいた。
心の探求は、苦悩を観、続けることで、いのちのあるべき至福の世界がなんとなく見えてきた。
そし . . . 本文を読む