覚醒とは、宇宙そのものである自分に気づくこと
私はその入り口に向かって進む旅人だ。
このブログは、
その旅の途上で見る心の風景だと思ってもらっていいだろう。
あまたある覚醒への道の中の一つだと
言えるところまではやってきた。
今私は至福の中にいる。
そして明日は再び苦悩が私を捕まえるだろう。
波のようにその繰り返しだ。その風景が今の私には見える。
富士に例えればそれは五合目の風景 . . . 本文を読む
私にとって救いはドローイングの中にある
その時私は描く行為と観ることの二つの救いを経験する
線を引く行為は自分がただあるがままの命を生きる喜び、
そして観ることは、宇宙と出会う感動。
だが宇宙はなかなか姿を現さない
どこかで皮一枚の甘さがオブラートのように画面を覆っている。
その幕が取れたとき
私の絵は完成する。
真の救いが現れる。
絵とともにあるだけで幸せになる絵
それが私の . . . 本文を読む
何を描くか
40年の画歴の中で
ようやく到達した言葉がある。
それは言葉だけで
絵が深まるかは全く別問題だが
指針にはなる。
闇雲に描いていたものが
向かう方向に光があたった。
何を描くか
救いの訪れたその一瞬
苦悩から解放される
その瞬間の風景
闇と光のはざま
思えば
40年
言葉も知らず
そんな絵を求め続けてきたのだ。 . . . 本文を読む
真実とは何か
そして行き着いたところが闇と光の渚
そこに人の生まれる原風景がある
光が満たされた神の世界
そこに欲が生まれて影ができる。
欲の強さが
影の濃さを際立たせる。
あるいは満たされた闇の世界
望みが光をともす
そこに形が浮き上がる。
半分が現れ
半分は闇の中に沈んだままだ
それが人の真の姿、
のしてんてんなのだ。
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