無事生還しました。
楽しい一週間でしたが、皆様お変わりありませんでしょうか。
ナウイズム旗揚げ展は、とにかく順調に幕開けすることが出来ました。はるひ美術館独特の湾曲した壁面に、空想の展示を続けてきまして、それが現実にこの目で見ることが出来たのは何よりの幸せです。
壁面の湾曲が、21mの壁画にパノラマ効果を与えてくれまして、予想以上に空間を空観出来る空感を表現できました。
小さな女の子がこの組作品に「地球のいのち」という素晴らしいタイトルを与えてくれましたし、入り口に掛けたF12号の小品にもこんなタイトルをつけてくれました。
「希望のたまご」
「未来の花」
どうして名前がないの?
お父さんに連れられてやって来てくれたあどけない女の子にきかれて、
名前を付けてくれないかなぁとお願いしたら、私の思いをそのまま言葉にしてくれたその女の子を、私は思わず抱きしめておりました。
その後のアーティストトークで、早速そのエピソードも使わせてもらいナウイズムの話につなげました。
作品を見ながらの話には臨場感があって、うまく伝わった気がします。
和歌山から、大阪から、東京から、そして地元のかたがた、作家仲間の大先輩と、気持ちのいい交流ができました。
早速、ナウイズム関東支部が生まれ、将来はナウイズム展をと、半分冗談のような話もまとまりました。
最後は焼肉にもつれていってもらい、ありがたい、うれしいうれしい一日となりました。
あらためて、この日配布しましたナウイズム宣言文を掲載します
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ナウイズム(実在主義)宣言
地上のすべての人々に、人間の尊厳と希望を。
我々は、長いあいだ時間に縛られた認識世界に生きてきた。
四次元(時間思考)は歴史を理解し、人々を未来に向わせ、知識の探求と富の追及に意欲をかきたてる。
しかし反面、四次元は様々な代償を人々に求めてきた。その代償は、万人に対して等しく振り分けられるように仕組まれている。
心の中でそれは起こる。苦悩がそれだ。
時間は、心が今に留まることを許さない。
過去を悔い、未来に不安と希望をかきたて人々を走らせる。その舞台から降りようとするものは落伍者とみなされる。
今や、この時間思考から自由になり、今を生きるということを学ばなければならない。
それは真実に気付き真実と共にあるということ。
我々は呼吸し、脈打つこの身体と共にあって、宇宙と共存している。この事実に感謝してそれを受け入れることなのだ。そこには落伍者は一人もいない。
我々はみな、独自に持っている能力を有効に使うことが出来る。その能力は一人ひとり違っており、その違いこそ最大の価値だと認めなければならない。
我々はすべて、自分自身であることで社会に貢献し、その役割を果たす。それは今を生きるものにしかできないことなのだ。
我々の精神的支柱は五次元である。
五次元は四次元を否定するものではない。
むしろ時間思考の利点を認めつつ、その落とし穴から身を守るための思想となるのである。
主従関係をはっきりさせねばならない。すなわち、主は五次元であり、四次元は従として必要な時に用いる。
いうまでもなく四次元は時間思考であり、五次元はスケール思考だ。
スケールの概念は、今この瞬間に、全宇宙を認識する方法だ。己の実在が、無限の宇宙とつながっていることを教えてくれるのだ。
人はそこから、自分は無限大であり、宇宙そのものであるという理解に至る。スケールの概念はミクロとマクロが同時に存在する宇宙の姿を理解させてくれる。それは「今」そのものの姿なのである。
時間の概念から見る人間は、一人ひとりが宇宙から切り離されている。なぜなら、人は時間のラインに乗って生きていかねばならないからだ。
そこでは未来と過去は重要な判断基準となるだろう。
しかし未来も過去も、実在ではない。空想の存在だ。
空想の存在に身を置き続けることで、我々は実在である「今」を軽んじ、忘れさせられている。そして空想の自分の死を恐れ始める。
それが時間思考のつくり出す我々の姿だ。
我々はこの四次元の意識から離れ、生まれた瞬間に戻る。
産声から始まるいのちの奇跡。それは全宇宙の力がかかわっている実在であり、永遠に存在するものなのだ。実在は今、この瞬間にしかない。
スケール思考はそれを正しく見せてくれるよき道具となるのである。
我らは叡智を集めて、五次元の道をひらく。
様々な芸術が、今この時を生きる人の姿を提案する。
平凡な生活の中で、一本の描線、一枚の紙、一個のジャガイモから、今この時を学ぶ。今立っているこの場所から、五次元の意識は生まれる。
それは、人々を苦悩から解放する。
スケール思考とは、スケールの概念で見る世界を実在と定める方法だ。
我々は宣言する。
四次元から意識を解放し、五次元と共に人間性を回復する。 と。
この瞬間から、
今を意識した生き方を選択しよう。
今この時にしか存在しない、この命を見つめて生きる心を定めよう。
憎しみは過去から来る。怖れは未来から来る。そして愛は今にしか存在しない。
常に、今この時を意識して生きる。それがナウイズム(実在主義)だ。
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楽しくて収穫いっぱいの1週間、お疲れさまでした。
ココアでも入れさせていただきましょうか?
冒険の後は休息。
そしてまた新しい冒険の旅へ出かけましょう❗
おかえりなさいま^せ^♪
なんだかほっといたしました。
冒険波瀾万丈の出発から、
清々しい出会い素晴らしい出来事の
貴重なお土産とともに、
ご帰還おめでとうございます☆
むっちゃんさんが、
美味しいココアを入れてくださいましたので、
わたしはユーハイムバームクーヘン
みなさんご一緒に頂きましょう♪
ともかく、ぐ~た~ら~ぼーっと
なさってくださいね。
ほんとにさみしかったです^よ^ぉ^
うれしいです☆
これからもよろしくお願いいたします。
今日も善き日をお過ごしくださいませ♪
感謝∞8∞八方拝で^す^
新たな旅の前にゆっくり休憩なさってください。その間によりいいものが練りあがることを信じて、今は休み時でも大丈夫ですよ。
また気ままに、喫茶店でのんびりさせていただきます(笑)
「子供の感性は…本当に”すごい”」としか言いようがないです。…言葉にならない、感性として言いようのないものを持つ。
…きっと、その子にとって、のしてんてん様の絵画は”良いチカラ”になったと信じて疑いません!
それだけのものを産み出せる、それだけの言葉を紡ぎだせるエネルギーを心に与える絵画を書ける…それは正真正銘”芸術”だと想います。
素晴らしいチカラ、尊敬と畏怖を込めて…本当に素晴らしいです!
では、ちょっと薄めのココアお願いします。
留守の間の一週間、ありがとうございました。
一番の収穫はマンガ喫茶だったかな?
とても入れなかった所でしたが、必要に迫られて、冒険心がやっと動いて、若い女の子(高校生?)の横に坐って一夜を明かしました^よ^
心残りはエバンゲリオンを5巻までしか読めなかったこと。
来週もぅ一度挑戦して、全巻読破しようと思っていま^す^
さっそくアトリエで、キャンバスに向かうとその理由がよくわかりました。
絵の中に、私の休息場所があったのです。
そこに、四肢五感が解放されて、湯船に浸かるよりも解放されるのしてんてんワールドがある。
失わないと気付かないもの。
人はみな、そんな場所があるのでしょう^ね^
バームクーヘンとココアが、腹より心にしみ渡ります。
留守中、本当にありがとうございました。
お土産はこれ、
今日の記事、宮沢賢治とナウイズムの三部作です。
まかこさんの紹介が役に立ちました。重ねて御礼申し上^げ^ま^す^。^
たいそうな芸術家でもなんでもないんです。
家ではドジな親と亭主をつとめておりますしね。
ただもし褒められることがあるとするなら、そのドジな自分と、そこから出てくる苦悩を受け入れて栄養にする力が身についてきたということかもしれません。
尊敬と畏怖を込めて頂くのはうれしいのですが、それが垣根にならないように私は願うのです。
自分の居場所に神殿を建てる。
私の目には、おりしさんもまた、立派な宮殿を建設中。
おりしさんと私の間に一毛の違いもない。
もし違いを感じるところがあるとすれば、
それが今折師さんが抱えている試験問題です^ね^
必ず解はゼロになる。そのプロセスだけを探せばいいので^す^ね^。
ごめんなさい。
祝福していただいて、恩を仇で返すようなことを書いてしまいましたが、どうか許してください。
私はただ、折師さんの祝福を、共に味わいたいと思いましたものですから・・・
まだまだ不肖なもので…「子供の心をそこまで動かせる才」に僻みと嫉妬があった…それも事実です。申し訳ない。
自分の仕事やブログを再び振り返り
…いったい自分にどれだけの価値があるのだろう?…そんな事がよぎっていました汗。
一晩経ち、コメントを見て…少し反省しました。そうですね、素直に純粋に祝福…ですよね!
そして純粋に、自分のやりたいことを、見ていたい聞いてみたいものをやっていこうと想います。
これからも楽しみに見させていただきます。
そんな感情から解放されません。
よい面は、自分に向上心がある証明となりますし、さらなる努力の原動力となりますね。
悪い面は、自己否定につながることでしょうか。何度もその地獄のような体験をしてまいりました。
そして何度も落ち込んでは這い上がりを繰り返していると見えてくるものがあるのです。
落ち込んでいるときは、人を見ているとき。
救いを感じるときは、己を見ているとき。
間違いなくその関係は成り立ちます。
永遠に自分を信じ、今ある自分の存在に価値を見出すこと。
価値は、ないものを生み出すのではなく、見い出すものなのですね。
だから、価値を見い出した時とは、必ず自分を見ている時という公式が成り立つわけです。
何を言いたいかというと、
「僻みと嫉妬があった…それも事実です。」という折師さんの、己を見つめる目を称賛したいのです。申し訳ないことなどありません。
己の存在の価値を信じて、それを見出すことが出来る眼は、折師さんのまさにその眼なのですから。