「五十四万石」という唄については以前にもブログで取り上げたことがあるが、北原白秋や西條八十と並んで童謡の三大詩人といわれる野口雨情が作詞した唄だ。昭和の初期、「新民謡」づくりが一つのムーブメントになっていた時期がある。「新民謡」というのは、現代風に言えば「ご当地ソング」だ。この三大詩人も時代の先頭に立って新民謡を作った。中でも野口雨情は日本全国をまわって数百曲という新民謡を作ったと言われる。熊本でも県内各地を回って20数曲の唄を作っているが、その中の一つが「五十四万石」だ。現在歌われている山鹿灯籠踊りの「よへほ節」も雨情の作だが、あれは原詞があるのでオリジナルではなく改作ということになる。「五十四万石」が初めて世に出たのは昭和10年の1月、大村能章が曲をつけ、藤本二三吉が歌いコロンビアレコードからリリースされた。後に佐藤松子もキングレコードから出している。藤本二三吉のレコードは僕は聞いたことがないが「ごじゅうしまんごく」と歌っていたらしい。
さて、先般の熊本城本丸御殿「春の宴」の5月18日には、ザ・わらべが「五十四万石」を踊った。大阪から度々日帰りでザ・わらべの公演を見に来てくださるSさんが「五十四万石」を見たいと前からおっしゃっていたので、中村花誠先生のご配慮なのだろう。僕はザ・わらべが踊る「五十四万石」を見たのは随分久しぶりのような気がする。どちらかというと抒情的な曲調なので踊りも静かだし、中高生のザ・わらべにはどうなのだろうか。でも、その日の年配のお客さんたちの多くが自然と歌い出していた。やっぱり「五十四万石」は熊本では根強い人気があるようだ。
さて、先般の熊本城本丸御殿「春の宴」の5月18日には、ザ・わらべが「五十四万石」を踊った。大阪から度々日帰りでザ・わらべの公演を見に来てくださるSさんが「五十四万石」を見たいと前からおっしゃっていたので、中村花誠先生のご配慮なのだろう。僕はザ・わらべが踊る「五十四万石」を見たのは随分久しぶりのような気がする。どちらかというと抒情的な曲調なので踊りも静かだし、中高生のザ・わらべにはどうなのだろうか。でも、その日の年配のお客さんたちの多くが自然と歌い出していた。やっぱり「五十四万石」は熊本では根強い人気があるようだ。