明治5年の明治天皇西国・九州巡幸に随行した写真師、内田九一が撮影した熊本城の写真の中に、棒庵坂(ぼうあんざか)下から大小天守を望んだ1枚がある。下の写真がそれであるが、今日まだ復元されていない櫨方三階櫓(はぜかたさんがいやぐら)や御裏五階櫓(おんうらごかいやぐら)などが写っており、往時の熊本城の偉容を偲ぶ1枚としてとても興味深い。現状と比較するため同じ撮影ポイントを探したが、今では家庭裁判所の敷地の中になるようだ。
真ん中の小天守とその後ろの大天守。左側に御裏五階櫓、右側に櫨方三階櫓が見える。
手前左は加藤清正に仕えた下津棒庵の屋敷があったところで、備蓄用の御蔵もあったと聞く。
手前右が棒庵坂の登り口。
現在の様子(1)木々が繁り、位置関係がよく見えない。
現在の様子(2)
真ん中の小天守とその後ろの大天守。左側に御裏五階櫓、右側に櫨方三階櫓が見える。
手前左は加藤清正に仕えた下津棒庵の屋敷があったところで、備蓄用の御蔵もあったと聞く。
手前右が棒庵坂の登り口。
現在の様子(1)木々が繁り、位置関係がよく見えない。
現在の様子(2)