徒然なか話

誰も聞いてくれないおやじのしょうもない話

日本人メジャーリーガーのお初

2009-04-07 15:52:55 | スポーツ一般
 メジャーリーグが開幕し、ヤンキースの4番打者を務めた松井秀喜は2ランホーマーを放ち、ドジャースの開幕投手を務めた黒田博樹は勝利投手となった。50年以上も前からメジャーリーグをウォッチしてきた僕にとって、まさに隔世の感だ。こんな日が来るなんて夢にも思わなかった。これまでメジャーリーグでプレーした日本人は40人にのぼるという。1995年にメジャーリーグに渡った野茂英雄を、マスコミではよく開拓者と呼ぶ。たしかに彼は今日のように日本人選手がメジャーに挑戦しやすい環境を作った。だから開拓者と呼ぶことに異論ははさまない。しかし彼はメジャーリーガー第一号ではない。日本人メジャーリーガーのお初は野茂からさかのぼること30年、1964年、65年にサンフランシスコ・ジャイアンツでリリーフ投手として活躍した村上雅則である。アメリカでも日本人メジャーリーガーの第一号として認識され、尊敬されている。
 アメリカに渡る3年前、彼は法政二高にいた。当時の法政二高はスーパースター柴田勲を擁し、夏・春と甲子園で連覇した直後で全国一の強豪校だった。その1961年、僕らの高校は、川崎市木月の法政大学水泳部で夏合宿を行なった。周辺には野球部やラグビー部などの合宿所が集まっていて、法政二高が練習する球場も近くにあった。野球場近くの学食で食事をするついでに法政二高の野球部の練習を覗いたりしたものだ。その頃、村上雅則は二年生で在学していたはずだが全然見た記憶がない。というより柴田勲だけを注目していたのかもしれない。その3年後、メジャーリーグで華々しくデビューした時、法政二高出身と聞いて「だれ?それ?」と思ったものだ。
 彼の功績はもっと顕彰されて然るべきだと思う。メジャーリーグを見ていていつも敬意を抱くのは、先人たちへのリスペクトを忘れないことだ。日本では大沢監督らが中心になってシニアチームなんかを作っているが、そうでもしないと自分たちが忘れられてしまうからじゃないか、なんてシニカルな見方をしているのだが・・・

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