花童のおかげで日本舞踊を楽しむ機会が多いのは幸せなことだ。というわけで今さらながら、日本舞踊の起源について文献などで調べている。日本舞踊というのは狭義では歌舞伎舞踊のことだそうだから、当然、歌舞伎の起源を調べることになる。今日の歌舞伎は出雲阿国が慶長8年(1603)に始めたという「かぶき踊」をもってその起源としている。では創成期の「かぶき踊」とはいったいどんな踊りだったのだろうか。
江戸時代初期に作製された「歌舞伎草子」などの文献を参考に想像するしかないが、曲目としては「かねきき」、「して」、「いなばをどり」、「忍びをどり」、「ふじのをどり」などと題する歌詞が出てくる。また最も代表的な演目として有名な「茶屋遊び」の歌詞も記述されている。
あただ浮世は 生木に鉈ぢやとなう 思ひまはせば きの毒やなう。
あただ阿國は 柚の木に猫ぢやとなう 思ひまはせば きの薬。
淀の川瀬の水車 誰を待つやらくる/\と。
茶屋のおかかに 末代添はば 伊勢へ七度 熊野へ十三度 愛宕様へは 月参り。
茶屋のおかかに 七つの恋慕よなう 一つ二つは痴話にも めされよなう 残り五つ皆 恋慕ぢや。
風も吹かぬに 早戸をさいたなう ささばさすとて とくにもおしやらいで
あただつれなの 君様やなう そなた思へば 門に立つ 寒き嵐も 身にしまぬ。(浄瑠璃もどき)
あただ阿國は 柚の木に猫ぢやとなう 思ひまはせば きの薬。
淀の川瀬の水車 誰を待つやらくる/\と。
茶屋のおかかに 末代添はば 伊勢へ七度 熊野へ十三度 愛宕様へは 月参り。
茶屋のおかかに 七つの恋慕よなう 一つ二つは痴話にも めされよなう 残り五つ皆 恋慕ぢや。
風も吹かぬに 早戸をさいたなう ささばさすとて とくにもおしやらいで
あただつれなの 君様やなう そなた思へば 門に立つ 寒き嵐も 身にしまぬ。(浄瑠璃もどき)
これらの歌詞や、歌舞伎草子の絵巻に描かれた舞台衣装や地方の編成などを参考に、これまで何度も再現が試みられてきた。しかし、それが実際の「かぶき踊」に近かったのかどうかは誰にもわからない。
特に注目すべきは、まだ三味線が使われていなかったということだ。つまり四拍子(笛、小鼓、大鼓、太鼓)のほか鉦くらいしか使っていなかったようだ。となると能・狂言と同じということになる。メロディーラインは唄や笛が受け持っていたのだろうか。中村花誠先生に一度再現してみていただけるとありがたいな、などと勝手な希望を抱いたりしている。
▼「かぶき踊」をスタイリッシュにアレンジした「阿国歌舞伎夢華」
▼阿国歌舞伎の面影を色濃く残しているといわれる新潟県柏崎市の国指定重要民俗無形文化財「綾子舞」