徒然なか話

誰も聞いてくれないおやじのしょうもない話

八千代座でストリップ!?

2018-01-12 20:05:40 | 熊本
 6年ほど前に発行された「八千代座100周年記念誌」を見ていたら、懐かしい話が載っていた。それは昭和43年ごろ、八千代座でストリップの興業が行われていたというもの。当時僕が勤めていた会社の仕事で山鹿の街中を歩いて回った。豊前街道、と言っても現在のように整備されていなかったが、その一角にストリップの看板を見つけた。その時は、八千代座前の広場に小さな小屋が建っていたような記憶があり、まさか八千代座の興業だとは思わなかった。場末のうら寂しい印象しか残っていない。明治44年に開業して既に57年経過していた頃だが、最も経営が厳しい状態の時だったという。老朽化も進んでいたが、解体されるのだけはなんとか避けたいと、当時経営に携わっていた方々の苦肉の策だったらしい。そんな時代もあって平成の大改修も成し遂げ、今日、八千代座は見事に復興した。あの寒々とした風景を想い出す度に、市民の皆さんの復興への強い想いと官民協力して地道な努力を積み重ねた成果なのだと敬意を表したい。
 八千代座が開業した明治44年は亡父の生まれた年でもあり、特別な感慨を覚える。


国指定重要文化財 八千代座(熊本県山鹿市)


江戸時代の伝統的な芝居小屋の様式を今に伝える八千代座


開業当時の華やいだ雰囲気を感じさせる天井広告


大正時代の八千代座で人気を博した「ちんこ芝居(少女歌舞伎)」を髣髴とさせる花童の舞台

初雪 & 鏡開き

2018-01-11 17:05:04 | ニュース

今朝の熊本市内(寺原周辺)

 今朝目覚めると夜半から降り出した雪で一面の銀世界。今年初めての積雪だ。わが家の辺り京町は3㎝とテレビが報じていた。
 そして、今日1月11日は「鏡開き」。わが家では昔から「猪の爪鹿の爪(いのつめかのつめ)」と呼ぶ。なぜそう呼ぶかというと、「鏡開き」の「ぜんざい」に付け合せる「たくあん」を、猪や鹿の爪に見立てた形状に切っているからだ。もともと「鏡開き」は武家社会の慣習となっていた「具足開き」が一般化したものだという。具足というのは武士がいくさの時に身に着ける「甲冑(かっちゅう)」のこと。正月には床の間に飾った甲冑に神饌である餅や酒、魚、野菜などを供えたという。1月11日の「具足開き」にそれらの供え物を食べた慣習が「鏡開き」になったわけだが、わが家に伝わる「猪の爪鹿の爪」の由来がどうもわからない。わが家では当たり前になっていたので、生前の父や祖母にたずねることもなかった。多分、ずっと昔は猪や鹿の肉を供えていたのが形だけ残り、「たくあん」を猪や鹿の爪に見立てて供えるようになったのではないかと思っている。同じような風習が残る家がないかと多くの方に聞いてみたのだが、今のところそんな家は見つかっていない。ところが、ネット検索していると、静岡県伊豆の国市に千年の歴史を有する江川家という名家があり、そこのフェイスブックに、「鏡開き」に馬蹄に見立てた「たくあん」を供するという記事が写真とともに掲載されていた。やはり同じような風習が残っていることにちょっぴり安堵感を抱きつつ思った。これは相当古いぞ!


わが家の「鏡開き」

【備考】右写真の甲冑
 「黒糸威二枚胴具足(くろいとおどしにまいどうぐそく)」(東京・永青文庫所蔵)
  細川忠興(三斎)が関ヶ原の戦で用いたもの(「細川家の至宝展」より)

「稲穂のかんざし」のはなし。

2018-01-10 17:53:09 | 日本文化
 日本では古代から木々や季節の草花などで髪を飾る髻華(うず)や挿頭華(かざし)といった習慣があったという。その流れを汲む簪(かんざし)も女性が髪を結う時に使う伝統的な装身具となった。
 京都の花街では正月に芸舞妓さんたちが稲穂のかんざしで髪を飾る習慣がある。これは関西で松の内とされる15日までの間だそうだ。なぜ正月に稲穂のかんざしを使うかというと、年の初めに当たり、その年の五穀豊穣ひいては商売繁盛を祈る意味と、実るほど頭を垂れる稲穂の謙虚さを失わないという意味もあるという。一般的に舞妓さんが髷の右側、芸妓さんが左側に付けるそうで、こうした風習が全国の花街にも伝わっていったといわれる。
 舞踊団花童は主宰する中村花誠先生が京都生活が長かったこともあり、基本的に京都方式のようで、花童の子たちは右側に、卒業生で名取のはつ喜月若さんは左側に付けているようだ。
 ちなみに花童の稲穂のかんざしは、花童ゆりあのお祖父様が、京都の舞妓さんが付けているのをTVでご覧になり、自ら育てた稲穂で孫娘の髪を飾りたいという発想から始まったそうだ。そしてゆりあママ手づくりによるかんざしが花童全員の髪を飾ることとなったそうである。


今年の能楽(能・狂言)公演

2018-01-09 17:44:43 | 音楽芸能
 今年、熊本市で行われる能楽(能・狂言)公演のうち、既に日程が決まっているものは次のとおり。

3月31日(土)14:00~ 熊本震災義援能 水前寺成趣園能楽殿 観世流「羽衣」菊本澄代 etc.
(入園料要)
4月 6日(金)17:00~ 花の薪能 健軍神社 喜多流(観能料 3000円)
8月 4日(土)18:00~ 出水神社薪能 水前寺成趣園能楽殿 金春流(入園料要)
9月16日(日) 9:00~ 藤崎八旛宮例大祭奉納能 段山御旅所 喜多流「半蔀」友枝雄人 etc.
9月16日(日)14:00~ 熊本「万作・萬斎の会」熊本市民会館 詳細不明


2016.11.4 熊本城薪能 喜多流「羽衣」シテ 狩野了一

ETV特集 よみがえるアーカイブ 「日本とイタリア」

2018-01-07 14:44:03 | テレビ
 ETV特集「よみがえるアーカイブ」シリーズの第1回は 「日本とイタリア」。日本・イタリア国交樹立150年を記念して、昨年イタリアで放送された番組で、意外と近かった両国の150年の歴史を振り返った。
 番組を見ながら思った。「昔の方がイタリアを身近に感じていたなぁ」と。僕らが中高生だった60年代、映画や音楽などイタリアの文化がどんどん入って来た。今も入っているのかもしれないが、全然気が付かない。当時のイタリアの映画俳優や監督、当時はカンツォーネと呼んでいたイタリアンポップス。スターの名前を思い出すといくらでも出てくる。しかし、現在のイタリアのスターと言われても全然思い浮かばない。
 ついでに、この番組に登場した若い頃の由美かおるさんのチャーミングなこと!今の芸能界には見当たらない!

▼60年代のイタリアのスターたち
【映画】
 フェデリコ・フェリーニ、ヴィットリオ・デ・シーカ、ルキノ・ヴィスコンティ、ピエトロ・ジェルミ、ミケランジェロ・アントニオーニ、マルチェロ・マストロヤンニ、ソフィア・ローレン、ジーナ・ロロブリジーダ、クラウディア・カルディナーレ、モニカ・ヴィッティetc.
【音楽】
 ジリオラ・チンクェッティ、ミーナ、ボビー・ソロ、ウィルマ・ゴイクetc.
【スポーツ】
 アズーリたち(ルイジ・リーヴァ、ジャチント・ファッケッティetc.)



▼ミーナ「砂に消えた涙(日本語バージョン)」


▼ジリオラ・チンクェッティ「夢見る想い」


▼ボビー・ソロ「ほほにかかる涙」

星野仙一さん!

2018-01-06 20:40:44 | ニュース


 やはり同世代の訃報が一番寂しい。星野さんは1級下だが、ほとんど同じ時代を過ごした。神宮球場の六大学野球もよく応援に行った。彼は相手チームの明治大学のエース。マウンド上で飛び上がるような躍動感あふれるピッチングで、わが方の田淵、富田、山本らに立ちはだかった。
 彼がプロ野球に入ってからも、投手や監督として、僕のひいきチームの前に立ちはだかることが多かった。だがなぜか常に親近感があった。彼は野球人としてはほとんどやり残したことはないと思う。その意味では幸せな一生だったと言えるだろう。でも70歳というのはやっぱり早過ぎるよ星野さん!まぁ残念ではあるが、僕はあえてこの言葉を送りたい。俳優の故原田芳雄さんが、ドラマ「火の魚」で言ったセリフ。「たとえ短くとも、俺はお前を哀れまない。心配するな。俺とて後に続くのにそんなに時間はかからんさ」

梅は咲いたか

2018-01-05 20:13:24 | 音楽芸能
 このところ運動不足も甚だしいので散歩がてら、近辺の池田八幡宮、岩立天満宮、護国神社と巡ってお詣りした。どの神社も境内には梅の木があり、そろそろ梅の季節だなと思いながら眺めてみたが、いずれもまだ蕾は固いようだ。ほころび始めるのにはもう2週間ほどかかるかもしれない。



 梅を見ると決まって口ずさむのが端唄「梅は咲いたか」。「しょんがえ節」ともいうが、季節の花を愛でる唄かと思いきや、後半はなんと、柳橋から猪牙舟(ちょきぶね)で隅田川を遡り、今戸橋で舟から上がって日本堤(土手八丁)を吉原遊郭へと向かう情景が唄われている。


つばき、時跳び

2018-01-04 19:40:22 | 映画
 熊本市在住のSF作家、梶尾真治さんの小説「つばき、時跳び」が、大林宣彦監督により映画化されることが決まったと先月16日の熊日新聞が報じた。今年秋に全編熊本ロケで撮影し、来年春の公開を目指すという。
 大林監督の映画は昔から好きで、作品はほとんど見ている。先般、余命宣告を受けながら新作「花筐/HANAGATAMI」を完成させたというドキュメンタリーを見たばかりだが、あくなき制作意欲には驚かされる。
 「つばき、時跳び」のようなファンタジーには願ってもない大物監督がメガホンをとることになり、一気に興味がふくらんだ。
▼あらすじ
 舞台は熊本、花岡山の中腹に「百椿庵(ひゃくちんあん)」と呼ばれる古い屋敷がある。駆け出し小説家の井納は、祖父が生前暮らしていたこの家にひとりで暮らし、横井小楠を主人公とする時代小説を執筆中。だが、江戸後期に建てられたというこの屋敷には、昔から、若い女性の幽霊が出没するという噂があった。ある日、井納の前に江戸時代からタイムスリップしたと思しき若い女性が現れる・・・

くまもと歌舞伎のお初

2018-01-03 20:17:47 | 音楽芸能
 慶長15年(1610)春、加藤清正公に招かれて肥後へ下った「八幡の国一座」こと「阿国歌舞伎」は何を演じたのだろうか。今日、出雲阿国は歌舞伎の始祖と謳われるが、おそらく今日の歌舞伎とは大きく異なるものだったに違いない。「阿国歌舞伎」は「かぶき踊り」として有名な「茶屋遊び」を始め、「念仏踊り」などいくつかの曲目の歌詞しか記録が残っていない。三味線は使わず四拍子だけの伴奏であることしかわからないが、参考になるのは、中世後期の風流踊の様子を今に伝える新潟県柏崎市の重要無形民俗文化財「綾子舞」だ。なかでも「小原木踊」という曲目は実際、出雲阿国が「かぶき踊り」を始める前に踊っていたという記録もある。下の「綾子舞」の映像を見ていると、往時の「塩屋町三丁目武者溜まり」のさざめきが聞こえてくるようだ。


慶長15年、阿国歌舞伎の小屋が掛かった「塩屋町三丁目武者溜まり」(現市電洗馬橋電停付近)



博栄堂印房さん(熊本市中央区新町2丁目3−7)の左側シャッター

 芸能史研究家で出雲阿国に関する著書も多い小笠原恭子さんによる「コトバンク」の解説には次のように記されている。
小原木踊
中世末から近世初頭にかけて流行した踊歌(おどりうた)。中世小歌にもよまれている京都八瀬の大原女の姿をうたったもので、中世後期からの風流(ふりゆう)踊の盛行とともに諸国に広まった。歌舞伎踊を創始する以前の、出雲のお国も踊っている。〈沈(じん)や麝香(じやこう)は持たねども、におう(荷負う,匂う)てくるは焼(たき)もの〉などの歌詞を持つ。その断片は、江戸時代の歌謡の中にとり入れられて長く伝わった。【小笠原 恭子】


重要無形民俗文化財「綾子舞 ~小原木踊~」(新潟県柏崎市)


水前寺にぎわい寸描 ちょっと辛口・・・

2018-01-02 21:54:57 | 熊本
 元旦の水前寺成趣園はまるで全盛期を思い出す賑わいぶり。出水神社の参拝者が長蛇の列をなし、11時頃には300㍍ほどに達した。出水神社の初詣の人出が多かったのはもちろんだが、入園無料の効果が大きかったのは間違いないだろう。僕らが子どもの頃は入園料というのはなくフリーパスだった。観光客の激減に対して地域住民の方々が再活性化プロジェクトを苦労して進めておられるが、入場料大人400円ってのはどうなんだろう。
 熊本市では、水前寺を観光拠点化することを名目に、成趣園南側に「ジェーンズ邸」を移築する計画らしいが、水前寺とはゆかりのない文化財をもってきて、どう拠点化しようというのか全く見えない。
 昨日は花童の新春寿ぎの舞の前に、能楽殿での新春の仕舞を見ようと思ったが、いつ始まるんだかわからない締まりのない様子に、イライラして見るのをやめた。今回が初めてではないが、金春流がダラシないのか、出水神社がしっかりしていないのかがっかりだ。
 桃山式回遊庭園を借景とした花童の舞台はいつ見ても素晴らしい。やはり彼女らの日頃の稽古量と、舞台の運営管理がしっかりしていることにつきる。