ペローの「おやゆび小僧」の冒頭部に、貧乏なきこりの夫婦が、7人いる子どもを、森に連れていって捨ててこようとする場面があります。
話を聞いたおやゆび小僧は、小石を拾い、森にいくとき目印に道に落としていくので、なんとか家に帰ることができます。
思わぬ収入があった夫婦は、子どもが帰ってきたことを喜ぶますが、それも長続きせず、また子どもを捨てようとします。
おやゆび小僧は、また小石を拾おうとしますが、朝早くでかけたので、小石を拾うひまがありません。そこで今度は、森に向かう途中、パンくずを道にまいておきますが、小鳥がパンくずを食べてしまって家にかえれず、人食いの家に転がりこんでしまいます。
グリムの「ヘンゼルとグレーテル」の冒頭部のシュチェーションは、ほとんどペローのものと同じです。
最後はめでたしめでたしになるのですが、日本の昔話には子どもを捨てるというのがないように思います。
これと似たものをあげると姥捨てでしょうが、逆に外国には姥捨ての話が見られないので、このへんの違いも興味深いところです。
子どもを捨てるのはやむをえない選択としてでてきますが、日本の姥捨ては、お上からのおたっしで捨てることになるのにも違いがあります。