昨日は横浜から星川まで歩く。
しかし、今日は浅間神社のお祭りだったので、
いつも歩く人通りの少ない道には、
屋台が立ち並び、多くの見物客でにぎわっていた。
たまには屋台の見物をするのもいいかと思い、
人ごみの中をかき分けながら歩いた。
昔ながらの焼きそばやたこ焼きの店はもちろん、
定番の射的もあれば金魚すくいもある。
子どもも来て遊びにあきないだろうなと思う。
最近は焼き鳥や鳥の鉄板焼きの他、ステーキなどもある。
それだけではなく国際色豊かにメキシコのタコスの店、
トッポギやチヂミなどの韓国料理の屋台や、
トルコ料理のドネルケバブの屋台まで色々ある。
昔と今の時間がそこに混在しているような不思議な空間だ。
途中聴いた曲がラヴェルのボレロ、
クリュイタンス指揮、パリ音楽院管弦楽団の演奏のCDだ。
この曲がこの浅間の祭りの風景になぜかあっていた。
規則正しく刻まれるリズム・パターンは、
進もうとしながらもなかなか先に進めないでいる自分の歩み。
けだるい感じの旋律は、周りの色々変わる屋台の風景。
それぞれを現しているような感じを受けたのである。
さて、家に帰って寝てみるとやっぱり風邪の症状が出た。
今日はそこで、ウォーキングをやめて家でおとなしく眠り、
治療に専念することにしたが、こういうときは暇なので、
ラヴェルのボレロの聴き比べをしてみた。
対象にしたのは、家にあるものでマルティノン、デルヴォー
スクロヴァチェフスキー、シヴェストリ、インバル、
そしてライブ録音のサッカーニ、チェリビダッケ。
マルティノンがフランス国立管弦楽団を指揮したCDは、
クリュイタンスと同じく名演であり、バランスもいいと思う。
同じ楽団を指揮したインバルのCDの録音はいいのだが、
なぜか今ひとつ私の心には訴えかけてこない。
クリュイタンスと同じパリ音楽院管弦楽団を指揮したCDで、
シヴェストリ指揮するものはモノラルなので音質は悪いが、
熱演するこの管弦楽団の意気込みが伝わってくる。
ただ、残念なのが1分20分くらいにみられる
小太鼓のリズムが乱れているように聴こえる箇所である。
デルヴォーの演奏は時間としては長めで録音は古いのだが、
推進力ある指揮で、最後まで盛り上げていくところがいい。
また、同じく演奏時間が長めのスクロヴァチェフスキーもいい。
最後のクライマックスまで一糸乱れず進めていくところがいい。
ライブ録音の2つのうち、サッカーニの演奏も悪くない。
ブタペスト・フィルハーモニー管弦楽団とのライブ録音である。
もちろん、金管楽器を中心に音が乱れることもあるが、
ライブ録音なので許容範囲ではあろう。
チェリビダッケがミュンヘン・フィルを振ったCDはおもしろい。
演奏時間としてはこの中でも18分なので、
これらCDの平均的な演奏時間の14・15分から考えれば長い。
最初から楽員ににらみをきかせた彼のもとで演奏する冒頭は、
あやしいというか、他の演奏とは全く違うもので、
チャリビダッケ流の音楽世界が創造されている。
それにしてもこの音楽は不思議な音楽である。
一定のリズムを最後まで何回も打ち続けながら、
同じ旋律を繰り返していくのだけの曲なのだ。
しかも、各楽器はある時は主題を奏でるのだが、
ある時には打楽器とユニゾンで同じリズムを演奏する。
ある時には主役、ある時には裏方に回るという感じで、
14~16分近くまで演奏するのだから退屈な曲であるはずだ。
なのに、なぜか彼のオーケストレーションの上手さに騙され、
すっかり、のせられてしまうのだから、すごい。
とはいえ、ラヴェルはこの「ボレロ」を発表したあたりから、
自分の病と闘わなければいけなくなっていた。
最初は文字を書くときの手の震え、
自分の話そうとしている言葉が見つからなくなり、
自分のピアノ曲を弾いている時に、
どこを演奏しているかわからなくなったり、
1932年には交通事故にあい、それから病状は悪化し、
自分のサインさえも書けなくなったのである。
進行性の失語症と診断され、字も音符も書けなくなった彼は、
脳の手術を受けたものの、
一時期良くなるように見えた容体も悪くなり、
そのまま昏睡状態に入り、永眠したそうだ。
(小長谷正明『ヒトラーの震え 毛沢東の摺り足』をもとに
この話は書きましたので、参考にしてください。)
頭の中に沸きあがる音楽を楽譜にできないラヴェルの悩み、
それは音楽家にとってあまりにも過酷な運命だっただろう。
しかし、今日は浅間神社のお祭りだったので、
いつも歩く人通りの少ない道には、
屋台が立ち並び、多くの見物客でにぎわっていた。
たまには屋台の見物をするのもいいかと思い、
人ごみの中をかき分けながら歩いた。
昔ながらの焼きそばやたこ焼きの店はもちろん、
定番の射的もあれば金魚すくいもある。
子どもも来て遊びにあきないだろうなと思う。
最近は焼き鳥や鳥の鉄板焼きの他、ステーキなどもある。
それだけではなく国際色豊かにメキシコのタコスの店、
トッポギやチヂミなどの韓国料理の屋台や、
トルコ料理のドネルケバブの屋台まで色々ある。
昔と今の時間がそこに混在しているような不思議な空間だ。
途中聴いた曲がラヴェルのボレロ、
クリュイタンス指揮、パリ音楽院管弦楽団の演奏のCDだ。
この曲がこの浅間の祭りの風景になぜかあっていた。
規則正しく刻まれるリズム・パターンは、
進もうとしながらもなかなか先に進めないでいる自分の歩み。
けだるい感じの旋律は、周りの色々変わる屋台の風景。
それぞれを現しているような感じを受けたのである。
さて、家に帰って寝てみるとやっぱり風邪の症状が出た。
今日はそこで、ウォーキングをやめて家でおとなしく眠り、
治療に専念することにしたが、こういうときは暇なので、
ラヴェルのボレロの聴き比べをしてみた。
対象にしたのは、家にあるものでマルティノン、デルヴォー
スクロヴァチェフスキー、シヴェストリ、インバル、
そしてライブ録音のサッカーニ、チェリビダッケ。
マルティノンがフランス国立管弦楽団を指揮したCDは、
クリュイタンスと同じく名演であり、バランスもいいと思う。
同じ楽団を指揮したインバルのCDの録音はいいのだが、
なぜか今ひとつ私の心には訴えかけてこない。
クリュイタンスと同じパリ音楽院管弦楽団を指揮したCDで、
シヴェストリ指揮するものはモノラルなので音質は悪いが、
熱演するこの管弦楽団の意気込みが伝わってくる。
ただ、残念なのが1分20分くらいにみられる
小太鼓のリズムが乱れているように聴こえる箇所である。
デルヴォーの演奏は時間としては長めで録音は古いのだが、
推進力ある指揮で、最後まで盛り上げていくところがいい。
また、同じく演奏時間が長めのスクロヴァチェフスキーもいい。
最後のクライマックスまで一糸乱れず進めていくところがいい。
ライブ録音の2つのうち、サッカーニの演奏も悪くない。
ブタペスト・フィルハーモニー管弦楽団とのライブ録音である。
もちろん、金管楽器を中心に音が乱れることもあるが、
ライブ録音なので許容範囲ではあろう。
チェリビダッケがミュンヘン・フィルを振ったCDはおもしろい。
演奏時間としてはこの中でも18分なので、
これらCDの平均的な演奏時間の14・15分から考えれば長い。
最初から楽員ににらみをきかせた彼のもとで演奏する冒頭は、
あやしいというか、他の演奏とは全く違うもので、
チャリビダッケ流の音楽世界が創造されている。
それにしてもこの音楽は不思議な音楽である。
一定のリズムを最後まで何回も打ち続けながら、
同じ旋律を繰り返していくのだけの曲なのだ。
しかも、各楽器はある時は主題を奏でるのだが、
ある時には打楽器とユニゾンで同じリズムを演奏する。
ある時には主役、ある時には裏方に回るという感じで、
14~16分近くまで演奏するのだから退屈な曲であるはずだ。
なのに、なぜか彼のオーケストレーションの上手さに騙され、
すっかり、のせられてしまうのだから、すごい。
とはいえ、ラヴェルはこの「ボレロ」を発表したあたりから、
自分の病と闘わなければいけなくなっていた。
最初は文字を書くときの手の震え、
自分の話そうとしている言葉が見つからなくなり、
自分のピアノ曲を弾いている時に、
どこを演奏しているかわからなくなったり、
1932年には交通事故にあい、それから病状は悪化し、
自分のサインさえも書けなくなったのである。
進行性の失語症と診断され、字も音符も書けなくなった彼は、
脳の手術を受けたものの、
一時期良くなるように見えた容体も悪くなり、
そのまま昏睡状態に入り、永眠したそうだ。
(小長谷正明『ヒトラーの震え 毛沢東の摺り足』をもとに
この話は書きましたので、参考にしてください。)
頭の中に沸きあがる音楽を楽譜にできないラヴェルの悩み、
それは音楽家にとってあまりにも過酷な運命だっただろう。