昨日は横浜から星川町まで歩く。
なかなか長い距離を歩く時間的余裕はない。
途中聴いた曲は1863年生まれのピエルネの作品である。
マスネやフランクに学んだ彼の音楽は、
印象主義的な作風の部分が見られることがあれば、
ロマン派的な作風の部分をみることもできる。
ある時にはドビュッシーやラヴェルの音楽を
聴いているような感覚を持つかと思うと、
夢見るようなロマンティックな音楽に早変わりする。
バレエ音楽「映像」からの序奏と牧歌風主題による喜遊曲は、
序奏のあとのディベルティメントは牧歌的な主題が、
最初変奏曲風に奏され、室内楽風に展開されていく。
そして、最後は主題が時々現れながらも、
ダイナミックな音楽へと発展しながら、終わっていく。
彼は、コロンヌ管弦楽団の指揮者として活躍し、
ドビュッシーやラヴェル、ルーセルやミヨーの音楽を、
世に紹介した人物でもある。
フランシスコ会の情景は、三部から成る曲で、
デンマークの作家イェルゲンセンの「フランシスコ会の巡礼」に
インスピレーションを得て1920年に作曲されたものである。
第1曲のタイトルは「サント・クレールの庭」である。
教会の鐘の音が模倣されるのが印象的であるが、
時々カッコウの声も聞こえ、
その夕暮れの情景を描写したようなロマンティックな曲である。
第2曲のタイトルは、「アッシジ平原のオリーブ畑」で、
弦楽器と管楽器を中心にのどかで静かな
しかしある部分では幻想的な情景が表現される。
第3曲のタイトルは、「ブストーネの道の上」である。
曲は教会的な主題を中心的にそのモティーフが
何度も色々な楽器により執拗に繰り返され、
金管中心に奏されるコラール的な主題と絡み合いながら、
大きな盛り上がりをみせたあと、徐々に静まりかえる。
最初に現れた主題が時々金管によって遠くから聞こえるが、
最後、曲は静けさの中で終わっていく。
この曲の主題の扱いを聴いていると思い出すのが、
レスピーギのローマの松の「カタコンブ付近の松」である。
それにしても、ピエルネという人物あまり知名度はない。
残念なことに、ドビュッシーやラヴェルなどの影に隠れ、
目立たない地味な存在であるが、
忘れちゃいけない人物なんだろうなあ。
なかなか長い距離を歩く時間的余裕はない。
途中聴いた曲は1863年生まれのピエルネの作品である。
マスネやフランクに学んだ彼の音楽は、
印象主義的な作風の部分が見られることがあれば、
ロマン派的な作風の部分をみることもできる。
ある時にはドビュッシーやラヴェルの音楽を
聴いているような感覚を持つかと思うと、
夢見るようなロマンティックな音楽に早変わりする。
バレエ音楽「映像」からの序奏と牧歌風主題による喜遊曲は、
序奏のあとのディベルティメントは牧歌的な主題が、
最初変奏曲風に奏され、室内楽風に展開されていく。
そして、最後は主題が時々現れながらも、
ダイナミックな音楽へと発展しながら、終わっていく。
彼は、コロンヌ管弦楽団の指揮者として活躍し、
ドビュッシーやラヴェル、ルーセルやミヨーの音楽を、
世に紹介した人物でもある。
フランシスコ会の情景は、三部から成る曲で、
デンマークの作家イェルゲンセンの「フランシスコ会の巡礼」に
インスピレーションを得て1920年に作曲されたものである。
第1曲のタイトルは「サント・クレールの庭」である。
教会の鐘の音が模倣されるのが印象的であるが、
時々カッコウの声も聞こえ、
その夕暮れの情景を描写したようなロマンティックな曲である。
第2曲のタイトルは、「アッシジ平原のオリーブ畑」で、
弦楽器と管楽器を中心にのどかで静かな
しかしある部分では幻想的な情景が表現される。
第3曲のタイトルは、「ブストーネの道の上」である。
曲は教会的な主題を中心的にそのモティーフが
何度も色々な楽器により執拗に繰り返され、
金管中心に奏されるコラール的な主題と絡み合いながら、
大きな盛り上がりをみせたあと、徐々に静まりかえる。
最初に現れた主題が時々金管によって遠くから聞こえるが、
最後、曲は静けさの中で終わっていく。
この曲の主題の扱いを聴いていると思い出すのが、
レスピーギのローマの松の「カタコンブ付近の松」である。
それにしても、ピエルネという人物あまり知名度はない。
残念なことに、ドビュッシーやラヴェルなどの影に隠れ、
目立たない地味な存在であるが、
忘れちゃいけない人物なんだろうなあ。