昨日は、旧同僚との飲んだためウォーキングを休みました。
それにしても楽しいもんである(しかし飲みすぎたので反省)。
今日は「千原兄弟の夜明け2」の番組で妻が演奏者として出るので、
それを楽しみに12時半からテレビを観たのであるが、
肝心のビデオを録画損ねて(録画したつもりが録画されてなかった)、
困ったものである。しかし、再放送はないだろうなあ。
今回とりあげるのは1881年生まれのミャスコフスキーの作品。
彼の略歴については管弦楽編で触れたので省略する。
ヴァイオリン協奏曲ニ短調作品44は、1938年に作曲された。
グリゴリ・フェイギンのヴァイオリン、ドミトリエフの指揮、
モスクワ放送交響楽団の演奏のCDを聴いた。
第一楽章アレグロは、最初管弦楽による導入部分があり、
それが終わってから独奏ヴァイオリンが主題を弾く。
それは切なく、哀愁ただよう旋律である。
伝統的な協奏曲スタイルを厳格に守り、その展開部には、
ヴァイオリン奏者のテクニックを発揮する場面が多くある。
長いカデンツァもその例で、主題をもとに変形させていく。
それが終わると主題が再現され、ヴァイオリン中心に
明るさも見せながらも、管弦楽による盛り上がりがあり、
ヴァイオリンが速い旋律を弾きながら、最後は力強く終わる。
第二楽章アダージョ、モルト・カンタービレは、
ヴァイオリンがゆったりと叙情的な旋律を奏でていく。
中間部でヴァイオリンと木管楽器でやりとりされる部分は特に美しく、
音楽はその後もヴァイオリン中心に進行し、
情熱的な部分と感傷的な部分が交互に登場し、最後は静かに終わる。
第三楽章アレグロ・モルト、アレグロ・スケルツォーソは、
勇ましい感じの音楽で始まり、ヴァイオリンは軽快な旋律を奏でる。
民謡的な旋律も出て、祝祭的な明るい音楽となり、
最後はヴァイオリンと管弦楽により華やかに終わる。
それにしても楽しいもんである(しかし飲みすぎたので反省)。
今日は「千原兄弟の夜明け2」の番組で妻が演奏者として出るので、
それを楽しみに12時半からテレビを観たのであるが、
肝心のビデオを録画損ねて(録画したつもりが録画されてなかった)、
困ったものである。しかし、再放送はないだろうなあ。
今回とりあげるのは1881年生まれのミャスコフスキーの作品。
彼の略歴については管弦楽編で触れたので省略する。
ヴァイオリン協奏曲ニ短調作品44は、1938年に作曲された。
グリゴリ・フェイギンのヴァイオリン、ドミトリエフの指揮、
モスクワ放送交響楽団の演奏のCDを聴いた。
第一楽章アレグロは、最初管弦楽による導入部分があり、
それが終わってから独奏ヴァイオリンが主題を弾く。
それは切なく、哀愁ただよう旋律である。
伝統的な協奏曲スタイルを厳格に守り、その展開部には、
ヴァイオリン奏者のテクニックを発揮する場面が多くある。
長いカデンツァもその例で、主題をもとに変形させていく。
それが終わると主題が再現され、ヴァイオリン中心に
明るさも見せながらも、管弦楽による盛り上がりがあり、
ヴァイオリンが速い旋律を弾きながら、最後は力強く終わる。
第二楽章アダージョ、モルト・カンタービレは、
ヴァイオリンがゆったりと叙情的な旋律を奏でていく。
中間部でヴァイオリンと木管楽器でやりとりされる部分は特に美しく、
音楽はその後もヴァイオリン中心に進行し、
情熱的な部分と感傷的な部分が交互に登場し、最後は静かに終わる。
第三楽章アレグロ・モルト、アレグロ・スケルツォーソは、
勇ましい感じの音楽で始まり、ヴァイオリンは軽快な旋律を奏でる。
民謡的な旋律も出て、祝祭的な明るい音楽となり、
最後はヴァイオリンと管弦楽により華やかに終わる。