昨日は、飲み会のためウォーキングを休みました。
4月からの異動先が決まって一安心だが、
ブログを今みたいに毎日書き続けられるかどうかは不安である。
昨日聴いたのは1916年アルゼンチン生まれのヒナステラの作品。
ヒナステラはブエノスアイレスで4月11日に生まれ、
ブエノスアイレス音楽院を1938年に卒業してから、
アメリカ合衆国に渡り、タングルウッドでコープランドに学び、
その後ブエノスアイレスで作曲家協会を設立し、
指導者としても活躍するとともに、55曲もの作品を残した。
亡くなったのは1983年6月25日スイスのジュネーヴであった。
ピアノ協奏曲第1番作品28は、1961年に作曲された。
今回のCDはドラ・デ・マリニスのピアノ、
マラヴァルの指揮、スロヴァキア放送交響楽団によるものである
第一楽章カデンツァとヴァリアンティは、
短い序奏のあと独奏ピアノが入り、
12音技法も取り入れた斬新な音楽である。
カデンツァ風の独奏ピアノ管弦楽が絡み合い、
荒涼としたクールな音楽が展開される。
最後は打楽器とともにリズムカルに、
荒々しさの中、盛り上がって突然終わる。
第二楽章「スケルツォ、幻想的に」は、
弦楽器中心に始まり、打楽器などが加わり、
幻想的な音楽が展開されていく。
独奏ピアノが煌めくような音を奏で、
そのあと管弦楽と絡み合いながら、
時に荒々しく激しく、時にリズミカルに、
そして幻想的な感じを一貫して見せていく。
第三楽章アダジシモートは、ヴィオラを中心に、
ゆったりと始まり、独奏ピアノが入り、
やがて激しさと静けさを繰り返しながら、
荒涼とした雰囲気を残しながら、弦楽器中心に
そして最後はピアノが残り静かに終わる。
第四楽章トッカータ・コンツェルタータは、
ヒナステラらしさがあふれたリズム感あふれる楽章。
エスタンシアなどにみられる民族主義的な部分が、
ここではみなぎっており、生き生きとして躍動感があり、
ピアノも打楽器のようにリズムを刻み、
盛り上がっている中で予期せぬところで突然終わる。
この終わり方も含めて、なかなかかっこいい。
4月からの異動先が決まって一安心だが、
ブログを今みたいに毎日書き続けられるかどうかは不安である。
昨日聴いたのは1916年アルゼンチン生まれのヒナステラの作品。
ヒナステラはブエノスアイレスで4月11日に生まれ、
ブエノスアイレス音楽院を1938年に卒業してから、
アメリカ合衆国に渡り、タングルウッドでコープランドに学び、
その後ブエノスアイレスで作曲家協会を設立し、
指導者としても活躍するとともに、55曲もの作品を残した。
亡くなったのは1983年6月25日スイスのジュネーヴであった。
ピアノ協奏曲第1番作品28は、1961年に作曲された。
今回のCDはドラ・デ・マリニスのピアノ、
マラヴァルの指揮、スロヴァキア放送交響楽団によるものである
第一楽章カデンツァとヴァリアンティは、
短い序奏のあと独奏ピアノが入り、
12音技法も取り入れた斬新な音楽である。
カデンツァ風の独奏ピアノ管弦楽が絡み合い、
荒涼としたクールな音楽が展開される。
最後は打楽器とともにリズムカルに、
荒々しさの中、盛り上がって突然終わる。
第二楽章「スケルツォ、幻想的に」は、
弦楽器中心に始まり、打楽器などが加わり、
幻想的な音楽が展開されていく。
独奏ピアノが煌めくような音を奏で、
そのあと管弦楽と絡み合いながら、
時に荒々しく激しく、時にリズミカルに、
そして幻想的な感じを一貫して見せていく。
第三楽章アダジシモートは、ヴィオラを中心に、
ゆったりと始まり、独奏ピアノが入り、
やがて激しさと静けさを繰り返しながら、
荒涼とした雰囲気を残しながら、弦楽器中心に
そして最後はピアノが残り静かに終わる。
第四楽章トッカータ・コンツェルタータは、
ヒナステラらしさがあふれたリズム感あふれる楽章。
エスタンシアなどにみられる民族主義的な部分が、
ここではみなぎっており、生き生きとして躍動感があり、
ピアノも打楽器のようにリズムを刻み、
盛り上がっている中で予期せぬところで突然終わる。
この終わり方も含めて、なかなかかっこいい。