Mars&Jupiter

おおくぼっちの屋根裏部屋へようこそ!

ハチャトゥリアンの組曲「ガイーヌ」を聴きながら、和田町まで、小雨の中を歩く

2007-06-25 07:42:58 | 古典~現代音楽ロシア以外の旧ソ連編
昨日は小雨降る中、横浜駅から和田駅まで歩いた。
ハチャトゥリアンの組曲「ガイーヌ」を聴きながら、
歩いたのだが、和田町の商店街には8時半過ぎについたが、
多くの店はお休みのため、全体的にひっそりしていた。

1903年生まれのハチャトゥリアン(ハチャトリアン)は、
昨日とりあげた人物ミャスコフスキーに学んでいる。
グルジアの都市トビリシに生まれたアルメニア人である。
作品にはこの地域の民族音楽の影響を強く出ている。

昨日聴いたCDはASV盤のもので、チェクナヴォリアンが
アルメニア・フィルハーモニー管弦楽団を指揮したものである。
この盤での組曲「ガイーヌ(ガヤネー)」の曲目構成は、
「剣の舞」、「若い娘たちの踊り」、「山岳民族の踊り」、
「子守歌」、「レズギンカ」の5曲から成っている。

「剣の舞」は強烈な打楽器がきざむ強烈なリズムが、
なんといっても印象的な有名な曲である。
大げさといえばその通りだが、それがいい。
金管楽器がうなり、ストレス発散に十分な曲だ。
「若い娘たちの踊り」は短い曲であるが、
歯切れのいい、軽快で明るい曲である。
「子守歌」は個人的にはこの組曲の中で好きな曲で、
フルートで奏される主題がせつなく甘くいい。
この旋律は弦楽器にも引き継がれ、
フルートと絡み合いながら、夢見るような感じで終わる。

「山岳民族(クルド民族)の踊り」は、
冒頭から始まる打楽器が叩くリズムと、
金管楽器の悪魔のような演奏が印象的だ。
弦楽器が民族音楽的な旋律を奏しているのが特徴的で、
クルド族の戦闘的な勇ましい感じが描かれている。
「レズギンカ」は、小太鼓が軽快なリズムをたたき、
木管楽器が主題を奏し、金管楽器が鳴り響く。
気分爽快な曲で、最後盛り上がりをみせて終わる。

組曲「ガイーヌ」で私が持っているCDでは、
シルヴェストリがウィーン・フィルを指揮したものがあり、
「若い娘たちの踊り」、「子守歌」、
「剣の舞」の3曲が入っており、これはこれでいい演奏だ。
また、ハチャトゥリアン自身が指揮をしている演奏では、
ウィーン・フィルを指揮したスタジオ録音盤のものと、
ソビエト国立交響楽団を指揮したライブ盤がある。

前者は、「剣の舞」、「アイシャの目覚めと踊り」、
「レズギンカ」、「ガヤーネのアダージョ」、「ゴパック」が、
後者は、「アイシャの目覚めと踊り」、「ロシア人の踊り」、
「クルド族の踊り」、「レズギンカ」、「剣の舞」が
それぞれ5曲ずつ選ばれている。
2つとも「剣の舞」、「レズギンカ」はともかく、
「アイシャの目覚めと踊り」が入っている。
ハチャトゥリアン自身はこの曲が好きだったのか、
もちろんこの曲もメロディックで、いい曲である。
両者を比べると断然後者のライブ盤の方が、
ハチャメチャかもしれないけれど、演奏はいい。

チェクナヴォリアンが指揮する盤は、そのライブ盤に似て、
打楽器が軽い音がする小太鼓のように叩き、
さながらこの地域の民族音楽を聴いているようでいい。
「レズギンカ」では特にその感じがでていていい。

一方、組曲「仮面舞踏会」はその民族色がないが、
ロマンティックな曲で魅力ある曲である。
組曲「スパルタクス」については、ここでは一つだけ、
2曲目「情景とクロタルを持った踊り 」の踊りの部分が
「剣の舞」と非常に感じが似ているのでおもしろい。
リズムと展開がどこかで聴いた感じだなあと思ってしまう。

それにしても、「ガイーヌ」の物語の舞台は、
コルホーズ(集団農場)であるようだ。
ソ連という時代を感じさせる懐かしさである。
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ミャスコフスキーの「スラヴ狂詩曲」、そして鶴ヶ峰駅前のマンション

2007-06-24 06:05:53 | ニコライ・ミャスコフスキーの作品
昨日は横浜駅から鶴ヶ峰駅まで歩いた。
そこまで歩くなら二俣川駅まで歩いてもいいのだが、
途中の和田町から西谷までペースをあげたので、
さすがに足が疲れきってしまったので、あきらめた。
別に無理することではないし、1時間半以上歩いたのだから、
歩かないといけないという必然性はない。

昨日途中で聴いた音楽はミャスコフスキーの作品である。
1881年生まれのミャスコフスキーは、
リムスキー=コルサコフやリャードフに学び、
1921年にはモスクワ音楽院で作曲法を教え、
門下にはカバレフスキーやハチャトゥリアンなどがいる。

交響曲全集の中にあるいくつかの作品を聴いた。
ここでは「鎖の輪」と「スラヴ狂詩曲」に関して触れる。
これらの曲に関する説明はCDの解説に書かれていないので、
ここでは聴いた感想を中心に書くことにする。

「鎖の輪」作品65は1944年に作曲され、
6つの小品からなり、25分前後の演奏時間である。
1曲目は金管で荒涼した感じが描写される。
2曲目は明るい民謡風の主題が奏される。
3曲目は波のように繰り返す動機の上に
金管による荒涼とした感じの動機が奏される。
4曲目は静かで、おだやかな曲である。
5曲目はフルートにより奏される甘美な主題が印象的だ。
6曲目はフィナーレにふさわしい華やかな曲である。
最初舞曲風の主題が弦楽器を中心に何回か奏され、
次に別な民謡調の主題や甘美な主題も登場し、
最後金管が加わって盛り上がって終わる。

次に「スラヴ狂詩曲」ニ短調作品71に関して触れる。
1947年に作曲されたこの曲の最初に登場するのは、
5つの音から構成されるコラールのような主題であり、
それが何度か奏されたあと、
第二の主題が登場し展開されるが、
時々最初の主題が顔を出し、様々な楽器で演奏される。
曲はその二つの主題を中心に壮大な音楽になっていく。
最後にはもう一つの主題が現れ、違う展開も見せるが、
最初の主題がまたもや登場し、
複数の主題が絡み合いながら、
最後は一気に盛り上がり、華々しく終わる。

ミャスコフスキーの作品は当時の時代の潮流に遅れ、
評価されていないからなのだろう、
作品についてあまり知られていないが、
27つの交響曲とともに管弦楽曲にも魅力のある曲がある。
もっと、紹介されて再評価されてもいいはずだろう。

そんなこんなを考えているうちに鶴ヶ峰駅前についた。
目の前にはランドマークとなる巨大なマンションが見える。
部屋のあかりが灯っている階が見えたが、
住んでいる人はいるのだろうか?
確かに上階から見た眺めはいいのかもしれないが、
たまに高いところから眺めるのはいいけれど、
毎日の住む空間からそんな風景が見えるのはいやだなあ。
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悩めるバラキレフ、そして交響詩「タマーラ」

2007-06-23 06:25:47 | 古典~現代音楽ロシア編
昨日は横浜から和田町まで歩いた。
ちょっとうれしかったことは、
何人かに痩せたですねと言われたこと。
確かに2月の時に比べれば、5~6キロは痩せている。
焦らず、毎日地道に歩いている成果である。

昨日途中で聴いた音楽はバラキレフの作品である。
1837年生まれのバラキレフは、
ロシア国民楽派の中で重要な位置を占める作曲家である。

交響詩「タマーラ(タマール)」は、
1866年に作曲に着手した作品である。
詩人レールモントフが書いた魔の女王タマーラの詩をもとにし、
古いロシアの民話に基づく20分程度の作品である。
作曲されてから17年後の1882年に完成した。
ロシアの作曲家はリャードフ、ムソルグスキーに限らず、
実に妖女・魔女の民話をテーマにした作品が多い。

曲は、幻想的で、ロマンティックな雰囲気が漂う。
ロシアにリストが始めた交響詩の分野の作品を、
根付かせようとして、頑張ったバラキレフだが、
この作品を作曲している間の1871年の34歳の時には、
ノイローゼに一時期なって、音楽界から引退し、
その後復帰し、47歳にようやく完成した。
山の中で魔法使いに育てられたキキモラは、
リストのような交響詩を作ろうとした気合が、
プレッシャーとして逆にのしかかったのかもしれない。
この曲全体にみられる重々しい雰囲気の中に、
彼がたどった17年間の苦難の道があらわされているのだろう。

交響詩「ボヘミアにて」は1905年に作曲された作品で、
モラヴィア民謡の結婚の歌と踊りの旋律を用いたもので、
プラハ滞在中に書かれた作品だという。
聴けば確かにチェコのメロディーらしいが、
その旋律がロシア風にアレンジされている。
30歳代の精神的苦痛を克服した彼が、
60歳代に取り組んだ親しみやすい曲である。

人間、若いうちに苦しいことはどこかで経験した方がいい。
それを何とか自分で時間をかけて克服してようやく、
毎日生きることの素晴らしさを実感できるんじゃないかなあ。
バラキレフもそれを30歳代に経験したからこそ、
「ボヘミアにて」には、そういった人生の問題や悩みから
吹っ切れたかのような、聴いていて、さわやかさがある。
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リャードフ、ロシア民謡、そしてババ・ヤガー

2007-06-22 06:21:29 | 古典~現代音楽ロシア編
昨日は時間的余裕がなくウォーキングを休みました。
ここのところ忙しい日が続いている。
今日とりあげるのはリャードフの作品である。
1855年生まれのリャードフは、ペテルブルク音楽院で、
師リムスキー=コルサコフに管弦楽法を学んだ。
作品は、演奏時間の短い作品が多い。

交響詩「ババ・ヤガー」は、1904年に作曲され、
ロシア民話に出てくる妖女ババ・ヤガーを描写している。
ムソルグスキーの組曲「展覧会の絵」でも出てくる名である。
音楽からは、その妖しい感じは伝わってくるが、
なにしろ短い曲なので少し物足りなさを感じるだろう。
その点では、ムソルグスキーの方がまさっていると思う。

交響詩「キキモラ」も同じように妖女を描いた作品で、
弦楽器で始まる冒頭から、妖しい雰囲気が漂う。
魅力的なロシア民謡が流れてから、
音楽はこの妖女キキモラの不気味さを伝えていく。
あらゆる人々の幸福を呪い続けるキキモラ、
悪魔のようなキキモラがなぜ人々を呪うのか、
それは自分の生い立ちから続くわが身の不幸にある。
山の中で魔法使いに育てられたキキモラは、
朝から晩まで一匹の猫から異国の物語を聞かされる。
しかし、成長したキキモラの色は黒く、やせすぎており、
胴は藁ほどの太さで、頭は異常に小さかった。
朝から晩までは騒ぎまわり、
夕方から真夜中までは口笛を吹き続ける。
何かその内容を聞くとこの話の裏からは
現実生活の中での矛盾というものが反映されているような、
そんな感じがしてしまい、少しだけキキモラに同情しそうだ。

「八つのロシア民謡」は1905年に作曲された作品で、
ロシア民謡を収集し、管弦楽化したものである。
「宗教的な歌」、「クリスマスの歌」、「哀歌」、「道化歌」、
「小鳥の物語」、「子守歌」、「踊りの歌」、
「村人たちの踊り」の8曲からなるが、
それぞれの曲は長くとも3分足らずで短い。
彼のオリジナリティーがあるわけではないが、
重要なことは、これら消えつつあったロシア各地の民謡を
この時期に収集し、その民謡にみられる音楽的豊かさを
管弦楽という形式で記録し、その魅力を我々に伝えている。

リャードフには大作とよべるものはないのだが、
ロシア民謡の魅力をこのような形で残し、
後世に伝えているという面での功績は大きいのだろう。
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リムスキー=コルサコフの「金鶏」、そして「サルタン皇帝の物語」

2007-06-21 06:13:53 | 古典~現代音楽ロシア編
昨日は横浜から星川まで歩く。
途中聴いた曲は、リムスキー=コルサコフの作品である。
1844年生まれのリムスキー=コルサコフの代表作は、
「シェヘラザード」ということになるかもしれないが、
ここでは組曲「金鶏」、組曲「サルタン皇帝の物語」の
二つをとりあげ、簡単に紹介したい。

歌劇「金鶏」は、1907年に作曲されたが、
初演は彼の死後の1909年に行われている。
その歌劇のあらすじは、以下の通りである。
国境の敵の脅威におびえる皇帝ドドンに、
星占い師が危険を知らせる時に鳴く金鶏を献上する。
その時、星占い師は報酬として愛を頂きたいといい、
皇帝はどんな望みもかなえようという。
皇帝はその後の戦いで二人の息子を失うが、
シュマヒの女王の美しさに魅せられ、女王を連れて国へ帰る。
星占い師は報酬としてその女王を要求するが、
皇帝がそれを拒んだため金鶏に頭を激しく突付かれ殺される。

組曲「金鶏」はこの歌劇から4曲を選んでいる。
第一曲「宮殿の中のドドン皇帝」から彼らしい、
エキゾティックな雰囲気が漂い物語の世界に引き込まれる。
第二曲「戦場のドドン皇帝」はチェレスタが活躍する。
第三曲「シュマヒ女王の賓客としてのドドン皇帝」は、
シュマヒ女王の美しさの魅力にとらわれる皇帝ドドンの
様子がロマンティックに描かれ、シェヘラザードを思わせる。
第四曲「婚礼とドドンの嘆かわしい最後」は
最初華やかな婚礼の様子が描写されるが、
金鶏に殺される皇帝のドラマティックな展開が待っている。

彼の曲を聴いて思うのは、物語のような曲の展開である。
次がどうなっていくのかを感じさせる部分である。
また、ダイナミックな曲の盛り上がり方がいい。
金鶏を表現する主題がところどころの場面で現れ、
このあたりがワグナーのライトモティーフのように
重要な意味を表現している感じでもある。

1900年に作曲された歌劇「サルタン皇帝の物語」の
物語としてのあらすじはこうである。
サルタン皇帝の妃に選ばれた妹が二人の姉に妬まれ、
その二人の姉に騙されたサルタンは妃と生まれた王子を
樽の中に入れられて魔法の島に流される。
サルタンは船乗りから魔法の島の三つの奇跡の話を聞く。
嘘を隠そうとする二人の姉たちであるが、
白鳥に変えられた妃は王子の力で人間の姿に戻り、
真実を知ったサルタン皇帝は、
最後妻と王子を迎え、ハッピーエンドで終わる。

組曲「サルタン皇帝の物語」は、ここから3曲を選んでいる。
第一曲の「皇帝の別れと出発」は一部行進曲風で
勇ましい曲であり、エキゾティックでもある。
第二曲「海上で樽の中のロシア王妃」では、
苦難を強いられた王妃の悲劇的な様子が描かれる。
第三曲「三つの奇跡」では、ダイナミックな音楽とともに、
すべての疑惑が解け、ハッピーエンドで終わるこの物語の
最後の劇的な展開を描いている。

「サルタン皇帝の物語」には有名な「熊蜂の飛行」がある。
この小品はいろいろな編曲版で使われることが多いが、
原曲の駆け抜けていくような疾走感がとてもいい。
それにしてもリムスキー=コルサコフはいい。
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