た・たむ!

言の葉探しに野に出かけたら
         空のあお葉を牛が食む食む

野分のあと

2004年10月10日 | Weblog
 「非常に強い」とどのテレビ局も再三再四言っていた台風が宵に東京を通過した後、小道を友人とぶらぶらと歩いてみた。街路樹の枝葉が道端のそこここに千切れ落ちていた。それらの残骸は、静謐な夜に過ぎ去った嵐の物凄さを語り伝えんとしていたが、むしろ都会の排気臭までも台風が持ち去ってくれたようで、澄んだ空気のすがすがしさのほうが際立って覚えられた。道行く人も車もなかった。台風の余韻に皆恐れをなしてか、もともと夜半には往来の途絶える通りなのか、いやその両方なのだろうと歩く心に思った。
 街灯が明るいですね、と友人がつぶやき、私も、ええ、とうなづいた。

 我々二人は道沿いの公園で一服することにした。樫のテーブルとベンチがあったので、尻が濡れないように買い物袋を敷いて腰掛け、ペットボトルの茶を飲んだ。我々はテーブルに落ちる自分たちの影を眺めたり、道の向こうのつつじの葉が艶やかに光るのを眺めながら、さまざまなことを語り合った。まったく、月夜と見まがう明るい街灯の下であった。

 今よりもう少し若いころは、ずっとこんなことをしていたような気がしますね、と友人は言った。朝起きたら公園に寝転びに行って、一日中、おっちゃんたちとしゃべってたりとか。
 学生のころですか、と私は訊き返した。
 いいえ。前の仕事を辞めて、今の仕事に転職する間のことです。
 ああ、なるほど。
 過ぎ去った時間ですよ。

 私は一旦締めたペットボトルのキャップをまた緩めた。
 そういう時間の過ごし方は、決して間違っているとか言えないもんですね。
 友人は答える代わりに、盛大なくしゃみをした。 
 
 私は一口の茶を含んで、再びペットボトルのキャップを締めた。
 わからないですね、と私は独り言のように言い添えた。
 ええ、わからないですね、と、友人は頬杖を深くついた。
コメント
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