た・たむ!

言の葉探しに野に出かけたら
         空のあお葉を牛が食む食む

土地の奇跡に乾杯して(サントリー白州蒸溜所限定販売ウイスキー)

2005年08月16日 | 食べ物
 カテゴリーは「食べ物」の中に入れたが、飲み物の話題。

 夏の始めに、友人がサントリー白州蒸溜所に立ち寄り、そこでしか販売していないウイスキーを手土産に持ってきてくれた。

 これがすこぶる旨い。二人とも殊更ウイスキー党ではないにもかかわらず、まるでワライダケをかじったように愉快になりながら(無論私はワライダケをかじったことがない)グラスを重ねた。写真は、二人して一晩で(と言っても小一時間ほどだが)五分の四ほど空けたシングルモルトのボトルを、私の愛する中古ピアノの上に置いて撮影したものだ。

 なぜあれほどに美味であったか。我々はその夜、売値の五倍の価値をそのボトルに対し見積もったものだ。あれが工場直販だったからか。工場直販というのは、かくもすごいのか。ウイスキーのような、必ずしも鮮度を求めないものにおいても。それとも、久しぶりに再開した我々の気分のなせる精神的な味付けだったのか。

 あれから半月以上経った今となってはなおさら不明に帰すしかないことであるが、ただもし、工場直販が少なからず要因となっていたのだとしたら、そうだとしたら、なんと今日の我々は───遠くの大工場から複雑な流通経路により長い道のりを経てきたものを食する今日の我々は、かつての日本の、家でどぶろくを作り、村で加工を賄っていた時代と比べ、なんと不幸なことかと、これまた勝手に妄想を膨らませたのは、ひっきょう、酒飲みのたわ言か。

 二晩で空になったボトルは今、花瓶として我が家の下駄箱の上で余生を送っている。
  
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

音のない花火

2005年08月16日 | essay
 久しぶりに寝坊をしてしまった。寝坊といっても夜八時に目覚めたのである。目覚めの時刻としては自己新記録かもしれない。徹夜明けで昼近くに眠るとそういうこともあるのだろう。
 仕方ないから夜の街を散歩した。小雨が降ったり止んだりしていたが、静かな散歩にはそれくらいがちょうどいい気がする。女鳥羽川の河川敷を歩いていたら、街の向こうに大きな花火が上がった。大きいといってもずいぶん遠くに違いなく、音は聞こえない。ただ、間抜けするくらいの感覚を置いて大輪が順番に咲いていくだけである。
 それでも私は、ずいぶん美しいと思った。正直、花火には少し食傷気味のところだった。豪勢な花火大会も結構だが、ほとんど連日のようにどこからかドンドン地面を震わせている。虫の音の聞こえる叙情ある夜を火薬の爆発でたたき起こすのは、あって一年に一度か二度でいい。その方がありがたみとその夜にかける真剣味も増すというものだ。最近は隣の街に負けてはならじと思うのか、流行のようにどの街も連発打ち上げを催している。それではいつしか市民にとって騒音にしかならなくなる。しかもほぼ街全戸に対し強制である。これでは下手をすると暴走族と同じになってしまう。
 その点、女鳥羽川から遠く眺めるサイレント映画のような花火は謙虚だった。私が顔を向けなければ、その花火は決して主張してこなかった。しかも、目を向ければちゃんと見事な花を咲かせていた。確か今日は諏訪湖が大花火大会だったと聞く。あれは諏訪湖から打ち上げられたものか。しかし果たして、諏訪湖から20キロ以上離れた松本にいて見えるのかしらん。実際のところは何ともおぼつかなかったが、どこの花火にせよここが特等席だと勝手に決め込んで、さて夜八時に起きた人間に朝食を食べさせてくれるところはあるかしらと、多少の不安を覚えながら再び街に歩を向けた。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする