た・たむ!

言の葉探しに野に出かけたら
         空のあお葉を牛が食む食む

言葉さがし再び

2015年06月15日 | essay
 哲学の集いのようなものに誘われ、喫茶『想雲堂』に行く。哲学的議論をするのは実に十三年ぶりである────哲学的議論というものが何であるかはさておき。いや、さておけない。哲学的議論というものが結局何であるかを知りたいから、ほとんどそのために参加するようなものである。

 昔、似たようなことをしたが、限界を感じてやめた。火が消えて久しい心の薪をわざわざ、再燃させようとしている。

 三十代をピタゴラスイッチのように間断なく動き回り、四十に達して一息つきたいのが正直なところである。立ち止まるとすればもっぱら思考するためではなく休息するためである。仕事の疲れを癒し、酒を飲み、幸せな顔をしてプハアと酒臭い息を吐き、頭を白紙にするためである。頭を悩ますものとしては月々の収支計算と人生の逆算で充分である。とても哲学どころではない。

 それでも再び、ディアレクティケー(対話術)に挑もうとしている。これはどういうことか。言葉というものをもう一度探し直す気になったのか。こんなことで、見つかるとでも思っているのか。

 第一回の会合の終わった後、帰り道の同じ参加者と店に入り、ビールを二本空けた。やはり・・・残念ながら、人生も半ばを迎えると、プハア的なものの方が性に合っているか。
コメント
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