私にはやぎひげがある。首筋の中ほどからひょろりと伸びる。顔全体としては決してひげの濃い方ではない。たとえ伸びたとしても一日零点数ミリ程度である。なのに、そのたった一本のやぎひげだけは、ある日鏡を見て気づいたら五センチくらいあるのではと思えるくらい伸びている。五センチは少々サバを読んだかもしれない。しかし器用な人なら針を使って玉結びができるくらいには伸びている。毎朝のひげ剃りの時に剃り落としてもよさそうなものだが、通常のひげ剃りの範囲をかなり逸脱した場所にポツンと生えているし、朝のひげ剃りは何しろ眠いので、気づかないまま放っておくのだろう。見つけたらもちろんそり落とす。しかし数か月後か、半年後か、あるいは一年後くらい、つまりとにかくやぎひげという概念すら忘れたころ、再びひょろりと生えたやぎひげを鏡に確認して、唖然とするのである。だいたい同じ場所から生えている。なぜやぎひげと言うかと言えば、その根拠ははなはだ心もとない。やぎのひげは首筋から長いのが生えているし、昔やぎを飼っていて、やぎの乳をかなり飲まされた記憶があるから、そのせいでひげが伸びたのだと信じて疑わないのである。やぎのミルクで体の一部がやぎ的になるのなら、牛のミルクを飲んでも体のどこかが牛的になるだろう。食べ物はすえ恐ろしい。
今日に至るまで、やぎは好きである。これもやぎの乳の影響かも知れない。ただし、味の方は驚くほど不味かったことを、今でも鮮明に覚えている。