一夜明けて、休日。快晴である。いつもより余分に寝て、犬の散歩もいつもより少しだけ延長し、コーヒーを飲み、前稿の続きに取り掛かる。睡魔について書かなければいけない。別に誰にせかされているわけでも、誰が読みたがっているわけでもないにしても、自分で決めた以上、書かなければいけない。しかしなかなか気分が乗らない。
窓から差す陽光は、春の到来を思わせるように明るい。庭の木に少し大きめの小鳥がやってきた。妻曰く春になるとやってくる小鳥らしい。目を凝らすと、枝先の蕾もずいぶん膨らんできている。
いかんいかん、睡魔である。
さて、この生理現象について、いよいよ人類は真剣に向き合わなければいけない時代になった。私はそこまで言い切りたい。声を大にして警告を発したい。人類の脅威は、今や、核兵器、環境問題、そして睡魔である。
なぜに睡魔をそう重大視するのか? 睡魔に悩まされる人が急増しているからである。いいや、統計的根拠はない。あなたは日中眠くなって困ることがありますか? なんて世論調査はなされていない。どこかでなされているかも知れないが、私はあずかり知らない。ただ、私の知人で多いだけである。それも、いやあちょっと日差しが気持ちいいからつい眠くなってきたなあ、と伸びをして笑顔であくびをかみ殺す、というような平和な睡魔ではない。もっと危険な、生命の維持さえ危ぶまれる睡魔である。蟻地獄の淵に足を取られ、あっ、と叫んだ時には奈落の底にみるみる引きずり込まれていくような、圧倒的な吸引力で引き込まれる睡魔である。
私の学生時代の先輩は、確か病名までもらっていた。「信じないだろうけどね」とその先輩は力なくつぶやいた。「ほんとに、急になるんだ。どうしようもないんだ。普通の睡魔とは違うんだよ」
また、長い付き合いのある東京在住の友人は、一緒に食事をしたとき、しみじみと語った。「すげえんだ。何してても、眠くなるんだ。で寝ちゃうんだよ、一瞬。あ、お前、信じてないだろ」と言いながら、ふと言葉が途切れたかと思うと言った。「ほら、ほら、今眠ってたろ」
彼の場合は少し誇張が過ぎる傾向があるが、しかしまんざら嘘でもないらしい。
そして私。ここ数年、昼食をとってしばらくすると、まるでナルニア国の魔女のひと吹きで石に変えられたように(と言いながら、その逸話を人から聞き知っただけで、ナルニアの物語なんて全く読んでないのだが)、不可抗力的に、暴力的に、絶対服従的に、睡魔によって体を硬直させられるのである。
サンプルはそれだけである。あ、もう一人、妻も最近「あなたのがうつった」と言っている。午後職場で必ずと言っていいほど眠くなるらしい。
症状の深刻さの度合いには個人差があるだろうが、私の周りに私を含めて四人も患者がいたら、もう世界人類的にはWHO(世界保健機関)も黙っていられないほどの爆発的広がりを見せているに違いない。
と、ここまで書いたところで、家人に家の用事を言いつけられた。日曜日もおちおちパソコンに向かうことすらできない。読み返してみると、さすがに大言壮語の嫌いも伺える。続きを書くのが少し嫌になった。
ということで、続きは次稿で。