先月下旬に知人と上高地を歩いた。秋を眺めに行った訳である。夏と冬は遊ぶものであれ、見に行こうという気にはさほどならないが、春と秋がそういう気にさせるのは不思議と言えば不思議である。おそらく、春と秋には始まりも終わりもないのであろう。つねに移ろいゆく光の揺らめきであり、それだけにその瞬間瞬間を記憶に留めようと欲するのだろう。私と知人は何度も佇(たたず)んだ。格別会話をするわけでもなくただ佇んだのである。そうすれば二度と戻らない何かを肌で感じられるとでも思ったのだろうか。それは場所により風であったり、日差しであったり、冷気であったり、恐ろしく澄んだ水面の反射する風や日差しや冷気であったりしたのだが、そういう水辺に立つときは、我々は生きてきた時間を禊(みそ)ぐかのように、静粛にいつまでも眼を瞠(みは)った。
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