なぜ、という問いかけには性質の違う複数の問いが混在している。
なぜ宇宙は存在を始めたのか。
この問いには原因のみならず目的に対する関心も含まれうる。
なぜ宇宙は存在を始めたのか。
この問いが目的を問うものであるとすれば、いかなる科学も答えられまい。
科学は分析する。
いつの日か現代科学が、宇宙の始まりをまるで再生ビデオを見せるように微に入り細を穿つまで詳細に描写できたとしても、ではなぜそうなったのか、という問いには答えられない。
──aが原因でbが起こったんです。──ではなぜaが原因でbが起こるのですか?
このような問いには、科学はおそらく答えようとすらしない。
では目的を問うことは無意味であるのか。世界に目的はないのか。
目的とは、「描写の仕方」にすぎないのか。(2+3=5という式は、5=2+3と、描写の仕方が違う。言い表したいと狙うものが違うのである。)
うーん。(なぜ朝っぱらからこんなことを考えたんだろう。)
なぜ宇宙は存在を始めたのか。
この問いには原因のみならず目的に対する関心も含まれうる。
なぜ宇宙は存在を始めたのか。
この問いが目的を問うものであるとすれば、いかなる科学も答えられまい。
科学は分析する。
いつの日か現代科学が、宇宙の始まりをまるで再生ビデオを見せるように微に入り細を穿つまで詳細に描写できたとしても、ではなぜそうなったのか、という問いには答えられない。
──aが原因でbが起こったんです。──ではなぜaが原因でbが起こるのですか?
このような問いには、科学はおそらく答えようとすらしない。
では目的を問うことは無意味であるのか。世界に目的はないのか。
目的とは、「描写の仕方」にすぎないのか。(2+3=5という式は、5=2+3と、描写の仕方が違う。言い表したいと狙うものが違うのである。)
うーん。(なぜ朝っぱらからこんなことを考えたんだろう。)
重要なことなので、コメントさせていただきます。
科学は分析します。同時に、解釈もします。
なぜ、aが原因でbが起こったのかという解釈は
科学には不可欠な要素です。
例えば、ビッグバンが原因で銀河の形成が起こりました。
ではなぜ、ビッグバンが原因で銀河の形成が行われたのでしょう?
と科学者は問います。
もし、科学が形式的な分析に終始し、解釈を伴うもので
なかったとしたら、科学は自然現象に関する疑問に
理解を与えることができたとは言えないでしょう。
因果関係を問う分析は、解釈を伴って初めて理解を与えるのです。
もっとも、その解釈は新たな因果関係の分析の結果を反映して
修正されることは良くありますが。
それでも、分析のみに終始することなど有り得ないことです。
>では目的を問うことは無意味であるのか。
なお、これら分析と解釈の結果から、自然現象の目的を問うことは
可能かもしれません。
もっとも、目的は意思を伴って意味を持つと哲学的には解釈
されているので、目的を問うことは、科学の問題ではない
かもしれません。
科学は因果関係に解釈を加えるとおっしゃいましたが、その例としては、たとえばどんなものがありますか?
>その例としては、たとえばどんなものがありますか?
例は最初のコメントであげましたよ。
時間があれば、考えてみるのも楽しい事だと思います。(^v^
他には例えば、
「水を温め続ければ沸騰します。では何故、水を温め続ければ
沸騰するのか?」
「地球は太陽の周りを回っているように見えます。
では何故、地球は太陽の周りを回っているように見えるのか?」
これらの問いには、トートロジーでない科学的な解釈が
伴わなければなりません。
これらの現時点での最もらしい解釈は何か?
考えてみるのも楽しい事だと思います。(^v^
(ヒント:これら解釈には「~説」と名前がついています。)
重要な事は、これらの解釈が正しいかどうかについて、
新たな分析が理論研究・実験研究・観測研究という形で行われ、
結果、より最もらしい現象の解釈に向かっていくということです。
追記:
[1] ブログに長い文を書き込みする時は、テキストかなんかに書いて
貼り付けるのがベターです。v(^^)v
[2] 私があえてコメントしているのは、科学における解釈の重要性
を先生方にも理解して欲しいからです。
もし科学が、分析のみに終始して、それこそ宇宙の始まりから
終わりまでを再生ビデオで表現するだけだとしたら、
科学者(私も含む)は、こんなに科学に夢中になりません。
正確な分析に基づく深遠な解釈(=科学的真理)に至れるからこそ、
我々科学者は科学をするのです。(*v*)
ええと、さてはて。
解釈──それも、本当は「目的」の解釈、というのがもともとの文脈には相応しいのですが──を科学がなしている一例をお願いしたのですが、ええと、それはお書きのコメントの中にすでに挙げられているということですか?それとも、自分で調べなさいということですか?
後者だと大変だなあ。前者だと、そろそろめがねの買い換えどきだなあ。
重要性は理解された、もしくはされていたんですね?
ならばいいです。(^^
さすがはYさん!すばらしい!
私がコメントを書き込む目的は達成されました。
>解釈──それも、本当は「目的」の解釈、というのが
>もともとの文脈には相応しいのですが
そのとうりです。当然です。
しかしながら、もし、私が主張した意味での解釈を
十分理解した上で、上記の意味での目的を問おうと
なさってたとすると、
>このような問いには、科学はおそらく答えようと
>すらしない。
とは普通言わないものです。
私が最初のコメントで指摘したように、
分析と解釈から、上記の意味の目的を問うことは
可能かもしれませんから。
(例えば、Yさんは「エレガントな宇宙」を
持っていましたね?
P484、「宇宙の存在理由」の最初の部分をお読み
下さい。上記の意味での目的を問うことが可能である
ことを主張しています。これは、分析・解釈をもとに
目的を問う一例です。)
だからあえて、確認の意味で、前回の書き込みでは
解釈例をあげる形で解釈の重要性を説明させて頂きました。
では、面白くなってきたので、今度は私が質問しましょう。
Yさんは、現代科学において上記の意味での目的を問うことは
無意味かどうかに関して、現在どのような知見をお持ちですか?
「うーん」の次をお聞かせ下さい。(*v*)
それでも、私に対してなされた質問にはお答えしましょう。
「上記の意味での目的」という言葉で何を意味されていたのか、正確に私が理解している自信がありませんが、私がもともとブログに述べた意味での「目的」を問うことなら、現代科学においてはほとんど無意味ではないかと恐れています。
わたしは、なぜ、という問いには何種類もの問いが混雑している、と述べました。その問いの中で、目的を問う問いに警戒心を示しました。
誤解のないようにお願いします。「原因」を問う問いではありません。「目的」を問う問いです。
──サケはたくさん卵を産みます。それは何のため?
──子孫を確実に残すため。
──子孫を確実に残すのは何のため?
目的を問う問いは、無限にオーバーラップします。そしてなおかつ、目的を問う、とした段階で、どうしても意志が介在する気が私にはするのです(そう、「意思」はあなたが用いられた言葉でしたね)。
さきほどの問答の一部は、こうも変更できるでしょう。
──子孫を確実に残すためって、それは誰の意志?
こういった問いを真正面から考えるのは、とても非科学的である気が私にはするのです。素人の憶測ではありますが。もちろん私は、そういう科学の限界(むしろ限定か)があるとして、それを非難するつもりなどさらさらありません。私はあくまで、目的を問うことそのものに懐疑の念を表明したのです。
※※※
どうも話がずいぶん厳密な議論を必要とする地点に差し掛かっている気がします。それはこのブログの趣旨ではありませんので、お望みなら別な場所でこの続きを話し合うことにしましょう。この場での私の応答は、今回をもって控えさせていただきたく思います。
追伸:私はここではoverthejigenあるいは阿是(あぜ)という名前で通っております。どうかその呼称でお呼びください。たとえ、あなたがわたしの個人情報を特別に知る立場にいる人だとしても。
コメントありがとうございます(^v^)
また、ブログの趣旨に反して議論を持ちかけた
ことをお詫びします。m(_ _)m
しかし重要なことなので、電話しますよ!
ふふふ。