コーヒーを飲んだら、雨音が聞こえてきた。せっかくの日曜日なのにね。妻は呟いて階下へ新聞を取りに行った。
濡れちゃった、と言って妻が手渡した新聞をぱりぱりと開く。一枚一枚めくりながら読者投稿欄までたどり着くと、ひとつの記事が目にとまった。
リストラされ、家に引きこもった父親を心配する女子中学生の投稿であった。
二杯めのコーヒーを口に含む。窓を眺めると、雨脚は強まっている。
新聞を閉じた。
マグカップの温かみを両手に感じる。
私は戸惑っていた。どこかの家の一室で、無精ひげを伸ばしたまま虚ろにテレビのブラウン管を見つめ続ける男の姿が、脳裏から離れなくなった。違和感と共感をない交ぜにした感情が、コーヒーの澱(おり)のように苦く喉元にこみあげる。
記事のことを、私は妻に話した。
「次の仕事を見つける気にはなれないのかな」
「こういうご時世だもの。なかなか見つかんないんじゃない」
「ないのかな」
「どうなんでしょうね」
僕も引きこもろうかな、と冗談を言ってみせる。妻は首をかしげる。そうだ。たしかに不謹慎な冗談である。この「ご時世」だから、なおさら。自分はどうなっても引きこもることはない、という自信がどこかにあるから言える冗談だろうが、そんな自信は本当にあるのか。いや。本当にあるのか。
道路に溜まる雨水を蹴散らす車の音が、何台か続く。
妻から話を続けてきた。
「新しい仕事を探すって、すごく体力がいるでしょうね」
「僕らの世代は」と、まったく脈絡のない抽象論で私は返答した。迷ったときの私の悪い癖である。
「僕らの世代は、たとえば一つの仕事を失ったときに、次の仕事を探すだけの気力というか、生きる力というようなものを、学校や社会から教わってきていない気がするよ」
「あなたは大丈夫よ」
誠にありがたい言葉である。しかし彼女は、リストラのような境遇に遭った場面での私を、まだ見ていない。
机の椅子から立ち上がり、私はマグカップを持ったままソファーの方に移動した。何だかもう少し低い所に座りたくなったせいである。
半開きの窓から差し込む湿気を含んだ風は、思いのほか涼しい。
遠い田舎にいる私の父親のことを、ふと思った。もう七十になる。教員と農業を両立させながら本家を守ってきた。山中を歩いてマムシが出たら、生け捕りにして焼酎漬けにするような男である。彼なら生き抜く力があるだろう。何しろ彼は、終戦直前、私の祖母に当たる母親に手を引かれ、満洲から辛うじて引き揚げた境遇の持ち主である。
彼から、生きることに関して何かしら教わった気がする。だが同時に、時代はいわゆるバブルであった。テレビや学校教育や様々な娯楽品が教えてくれたのは、「生き抜く」ことよりも「過ごす」ことに人生のニュアンスを読み替えて生きるべきだ、ということであった。多分。そうだ。そうだ。ぼくらはみんな、人生は「過ごす」ものだと教わったのだ。快適に「過ごす」。充実して「過ごす」。何となく「過ごす」。私の骨肉から、ゲートルの靴音響く満洲の乾いた風のにおいは──そんなものは私にとって想像するしかないものだが──丁寧に除去されて育て上げられたのだ。
戦後は、本当に終わったんだね。少し自信がなかったので、私は声に出して言ってみた。妻は新聞に目を通しながら、そうねえ、と長く呟いた。もちろんずっと以前に、戦後なんてきれいさっぱり終わっていたのだ。私も馬鹿なことを言う。
これからは、とマグカップに口をつける。これからは、一つの会社を辞めさせられたら、家に引きこもるような大人がどんどん増えていくのかも知れない。いやいや、どうだろう。世の中がこのままあまりの不景気で混沌としたら、また今の若者たちは、生きる力というものを自然と身につけ始めるのかも知れない。
だが、バブルと重なった青年期を「過ごし」て終わったわれわれの世代は、果たして、我が家の一室から飛び出すことができるのだろうか。もしそうせざるを得ない場面が訪れたとき、われわれはそのときこそ、「生き抜こう」と思えるのだろうか。
窓の外は少しずつ明るくなってきている。どうやら通り雨だったらしい。軒先から滴る雫の音は続いている。気の早い蝉が、すでにどこかで鳴き始めた。
(終)
濡れちゃった、と言って妻が手渡した新聞をぱりぱりと開く。一枚一枚めくりながら読者投稿欄までたどり着くと、ひとつの記事が目にとまった。
リストラされ、家に引きこもった父親を心配する女子中学生の投稿であった。
二杯めのコーヒーを口に含む。窓を眺めると、雨脚は強まっている。
新聞を閉じた。
マグカップの温かみを両手に感じる。
私は戸惑っていた。どこかの家の一室で、無精ひげを伸ばしたまま虚ろにテレビのブラウン管を見つめ続ける男の姿が、脳裏から離れなくなった。違和感と共感をない交ぜにした感情が、コーヒーの澱(おり)のように苦く喉元にこみあげる。
記事のことを、私は妻に話した。
「次の仕事を見つける気にはなれないのかな」
「こういうご時世だもの。なかなか見つかんないんじゃない」
「ないのかな」
「どうなんでしょうね」
僕も引きこもろうかな、と冗談を言ってみせる。妻は首をかしげる。そうだ。たしかに不謹慎な冗談である。この「ご時世」だから、なおさら。自分はどうなっても引きこもることはない、という自信がどこかにあるから言える冗談だろうが、そんな自信は本当にあるのか。いや。本当にあるのか。
道路に溜まる雨水を蹴散らす車の音が、何台か続く。
妻から話を続けてきた。
「新しい仕事を探すって、すごく体力がいるでしょうね」
「僕らの世代は」と、まったく脈絡のない抽象論で私は返答した。迷ったときの私の悪い癖である。
「僕らの世代は、たとえば一つの仕事を失ったときに、次の仕事を探すだけの気力というか、生きる力というようなものを、学校や社会から教わってきていない気がするよ」
「あなたは大丈夫よ」
誠にありがたい言葉である。しかし彼女は、リストラのような境遇に遭った場面での私を、まだ見ていない。
机の椅子から立ち上がり、私はマグカップを持ったままソファーの方に移動した。何だかもう少し低い所に座りたくなったせいである。
半開きの窓から差し込む湿気を含んだ風は、思いのほか涼しい。
遠い田舎にいる私の父親のことを、ふと思った。もう七十になる。教員と農業を両立させながら本家を守ってきた。山中を歩いてマムシが出たら、生け捕りにして焼酎漬けにするような男である。彼なら生き抜く力があるだろう。何しろ彼は、終戦直前、私の祖母に当たる母親に手を引かれ、満洲から辛うじて引き揚げた境遇の持ち主である。
彼から、生きることに関して何かしら教わった気がする。だが同時に、時代はいわゆるバブルであった。テレビや学校教育や様々な娯楽品が教えてくれたのは、「生き抜く」ことよりも「過ごす」ことに人生のニュアンスを読み替えて生きるべきだ、ということであった。多分。そうだ。そうだ。ぼくらはみんな、人生は「過ごす」ものだと教わったのだ。快適に「過ごす」。充実して「過ごす」。何となく「過ごす」。私の骨肉から、ゲートルの靴音響く満洲の乾いた風のにおいは──そんなものは私にとって想像するしかないものだが──丁寧に除去されて育て上げられたのだ。
戦後は、本当に終わったんだね。少し自信がなかったので、私は声に出して言ってみた。妻は新聞に目を通しながら、そうねえ、と長く呟いた。もちろんずっと以前に、戦後なんてきれいさっぱり終わっていたのだ。私も馬鹿なことを言う。
これからは、とマグカップに口をつける。これからは、一つの会社を辞めさせられたら、家に引きこもるような大人がどんどん増えていくのかも知れない。いやいや、どうだろう。世の中がこのままあまりの不景気で混沌としたら、また今の若者たちは、生きる力というものを自然と身につけ始めるのかも知れない。
だが、バブルと重なった青年期を「過ごし」て終わったわれわれの世代は、果たして、我が家の一室から飛び出すことができるのだろうか。もしそうせざるを得ない場面が訪れたとき、われわれはそのときこそ、「生き抜こう」と思えるのだろうか。
窓の外は少しずつ明るくなってきている。どうやら通り雨だったらしい。軒先から滴る雫の音は続いている。気の早い蝉が、すでにどこかで鳴き始めた。
(終)
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