当時私は大学の研究生で野球部のOB、美咲は野球部の一年生マネージャーだった。歳は六歳ほど離れていた。今日的状況からは想像もつかないが、我々は恋人同士だった。枯れ草だって枯れる前は青かったのだ。
あれは戸越か荏原か、確か東急大井町線沿いのどこかの小さな神社の祭りだったと記憶する。どこでも良かったのだ。二人揃って浴衣を買って、それを初めて着て歩くのが目的だった。しかし慣れない着物で出歩くものではないのであり、金魚すくいか何かの屋台の前で、美咲が財布を落としたことに気づいた。自分たちが歩いた経路を逆に辿ったが、当然見つかるはずはない。誰かがもし拾っているなら、祭りの日の縁起物くらいに思って失敬するに違いないのだ。探し疲れた美咲は浴衣の襟もはだけたまま、しゃがみこんで泣き始めた。泣き顔も今ほどは不細工でなかったように思う。夜は蒸し暑いままゆっくりと更けていた。赤い提灯が闇と電灯の煌々とした明かりとの境界を曖昧につないでいて、その下を人々が夢遊病者のように行ったり来たりしていた。どこか現実離れした夜祭の光景の真中で、浴衣姿の美咲がしゃがんで嗚咽していた。
私は非常に困った。行きかう人が想像をたくましくして我々二人をじろじろ見ていく。どうせ皆、私が泣かせたくらいに思っているのである。迷惑なことこの上ない。立てと言っても美咲は立たない。諦めろと言ってもかぶりを振る。駄々をこねる子どものようで腹立たしかった。と同時に、嗚咽に波打つ浴衣姿の丸い背中が妙にエロティックに映ったのも確かである。
財布にいくら入っていたかと聞くと、二万四千円だと言う。何だそれくらい持ってるなら私にばかり奢らせるなと言い返してやりたかったが、まあ私が奢ると見栄を切った手前なのでそれは仕方ない。二万は確かに大きいなと同情してやると、二万四千が惜しいのではない、あれは私から誕生プレゼントにもらった財布だから、それが惜しいのだと言う。私は誕生プレゼントに財布をやったことすら忘れていた。感心なことを言うから、肩に手を置いてもう気にするなと慰めてやった。しかしぐずぐずとかぶりを振るばかりである。本当に財布が惜しいんだが、二万四千の方が惜しいんだか怪しい限りだが、当時はまだ恋人同士と呼ぶに相応しい関係であったので、私は奴が泣き止むまでずっと傍に立ってやり、泣き止んだらりんご飴を買ってやった。私も一口かじったが、無性に甘ったるくて食えたもんじゃなかったのをなぜだかよく覚えている。
あのときのように、美咲は今、玄関先でしゃがんで泣いている。あの頃のように泣き顔が可愛いいわけではない。割合切実に感じるのは、あのときのように、私が彼女の傍に立って自らの存在感を示してやれないことである。
(つづく)
あれは戸越か荏原か、確か東急大井町線沿いのどこかの小さな神社の祭りだったと記憶する。どこでも良かったのだ。二人揃って浴衣を買って、それを初めて着て歩くのが目的だった。しかし慣れない着物で出歩くものではないのであり、金魚すくいか何かの屋台の前で、美咲が財布を落としたことに気づいた。自分たちが歩いた経路を逆に辿ったが、当然見つかるはずはない。誰かがもし拾っているなら、祭りの日の縁起物くらいに思って失敬するに違いないのだ。探し疲れた美咲は浴衣の襟もはだけたまま、しゃがみこんで泣き始めた。泣き顔も今ほどは不細工でなかったように思う。夜は蒸し暑いままゆっくりと更けていた。赤い提灯が闇と電灯の煌々とした明かりとの境界を曖昧につないでいて、その下を人々が夢遊病者のように行ったり来たりしていた。どこか現実離れした夜祭の光景の真中で、浴衣姿の美咲がしゃがんで嗚咽していた。
私は非常に困った。行きかう人が想像をたくましくして我々二人をじろじろ見ていく。どうせ皆、私が泣かせたくらいに思っているのである。迷惑なことこの上ない。立てと言っても美咲は立たない。諦めろと言ってもかぶりを振る。駄々をこねる子どものようで腹立たしかった。と同時に、嗚咽に波打つ浴衣姿の丸い背中が妙にエロティックに映ったのも確かである。
財布にいくら入っていたかと聞くと、二万四千円だと言う。何だそれくらい持ってるなら私にばかり奢らせるなと言い返してやりたかったが、まあ私が奢ると見栄を切った手前なのでそれは仕方ない。二万は確かに大きいなと同情してやると、二万四千が惜しいのではない、あれは私から誕生プレゼントにもらった財布だから、それが惜しいのだと言う。私は誕生プレゼントに財布をやったことすら忘れていた。感心なことを言うから、肩に手を置いてもう気にするなと慰めてやった。しかしぐずぐずとかぶりを振るばかりである。本当に財布が惜しいんだが、二万四千の方が惜しいんだか怪しい限りだが、当時はまだ恋人同士と呼ぶに相応しい関係であったので、私は奴が泣き止むまでずっと傍に立ってやり、泣き止んだらりんご飴を買ってやった。私も一口かじったが、無性に甘ったるくて食えたもんじゃなかったのをなぜだかよく覚えている。
あのときのように、美咲は今、玄関先でしゃがんで泣いている。あの頃のように泣き顔が可愛いいわけではない。割合切実に感じるのは、あのときのように、私が彼女の傍に立って自らの存在感を示してやれないことである。
(つづく)
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