両親に捨てられた、という人に出会った。まさかと思ったが、話を聞くと、本当に捨てられたようである。まず父親が家を去り、次いで母親に、父親のいる町で置き去りにされた。お父さんのところにお行き、というわけである。父親は息子との再会を喜ばなかった。父親と同棲していた女はなおさらであった。
冷え切った年の瀬の晩、明かりの足らない飲み屋のカウンターで、ウィスキーグラスを傾けながら私はその話を聞いた。
その人は感情のない目を宙に向け、とつとつと語った。ときに冗談のように口だけ歪めた顔を私に向けながら。
─────暴力を振るわれた思い出しかありませんよ。
そんなことが実際にあるんだ。私はそう思った。どんなことがあっても、人はけなげに生きていくんだ、とも。
いっそのこと雪が降ればよかった。が、雪はなかなか降らなかった。街の汚れも吹き溜まりも、その醜い姿を月明かりに露呈しながら凍えていた。孤独も絶望も、悲哀も、不信も、街のあちこちの暗がりに身をひそめたまま、誰にも温められずに年を越すのだ。
私はウィスキーを口に含んだ。その晩はなかなか酔えなかった。
その人は生涯に何度も引っ越しを繰り返していた。自分を捨てた母がいると聞いた町に引っ越したこともある。もしかしたら会えるかもしれない、と思ったからである。
─────会って、どんな話をするんですか。
─────自分を捨てたわけを聞きたかった。
その望みはついに叶わなかった。すでに、両親とも他界したからである。その通知だけは、二回ともしっかりと受け取ったという。
その人は、繰り返すが、立派に生きていた。きちんと働き、自分に誇りを持っていた、という意味で。ただ─────
─────ただ、どうしても人を信頼できないんです。
彼はそうつぶやいた。
─────人を信頼できるようになるために、自分は生きているんです。
その晩、雪はついに降らなかった。
私はコートの襟を合わせ、肩を震わせながら帰路に就いた。
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