グラスの水割りは薄い。いくら呷(あお)っても一向に酔えない。
Aさんは大きな背中を丸めて、嘆息した。
「びっくりだよ。とにかくびっくりだ」
「うん」と私は同調する。
「あんまり突然だからなあ。ほんとに良くしてもらったんだよ」
「うん」
「奥さんと電話口で話して、奥さんもまだ心の整理がつかないって。初めて話したんだけどな、奥さんと。彼の思い出話になって。電話口でボロボロ泣いちゃってさ」
彼の話を聞きながら、私はまた別の人のことを思う。くも膜下出血で倒れ、植物人間となって生きる知人の女性のことである。旦那さんは、呆然と来る日を待っている。もはや手術もできない状態で、回復の見込みはない。
私にとって第二の故郷で起きた地震のことも思う。最近、思うことがやたら増えた。
私はグラスを呷る。「いつ何がどうなるかなんて、誰にもわからんね」
「うん」今度はAさんが同調する。
カウンターのママが客に出す用のナッツを頬張りながら、場を盛り上げようとしてちょっと陽気に口を挟む。「とにかくさ、頑張って生きるしかないじゃない。生きてるうちは」
我々は思い思いの頷き方で賛意を示す。
店の外が喧しくなってきた。どうやら若者二人が店の前に座り込んで声高に会話しているらしい。しばらく無視して飲み続けたが、一向に声の止む気配はない。それどころかますます声量を上げてきた。明らかに度を越した酔っ払いである。
「さすがにうるさいね」ママが眉をひそめる。
Aさんがスツールを立った。
「行くの?」私も席を立つ。
────これが結局、警察官を八人呼ぶ事態へと発展することになる。だがそれを詳細に述べることは、諸事情によりここでは控える。
とにかく、頑張って生きるしかない。生きているうちは。
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