9/24 神さまのこと
父の食欲が突然出て、未知の世界に突入してから2ヶほどが過ぎた。
この介護記録をこのまま続けてアップしていくか、いろいろ考え込んでしまうことが多くなってきた。
まずは、この記録を父が亡くなったらパスワードを外して公開しようと思っていること。
私は自分のプロフィールを公開しているので、父のことも公開することになる。
それはもちろん自分の中でも「可」と思っていたけれど、
認知のことや、排便のこと、日々の生々しい記録を、殆ど実名で公開すると同じことになる…
そう思うと、ちょっと腰がひけてきてしまった。
父の生徒さんや、同業者の方たちには、父はいつまでも矍鑠として踊るイメージを心に刻んでいてほしい。
父はこの記録を公開することを承知してくれるだろうか?
それから、母のこと。
母は自分が現在の夫とは再婚で、最初の夫である私の実父との過去を掘り起こすことになる。母はヤだろうな~
いや、今までにも、何度か母や実父のことは書いてきたのだけど、それほど何も問題はなかった。
けれど、、、
そんなことを考えながらキーを打つと、思いが指先にスムーズに伝わらなくなって、思わず手が止まってしまう。
私は、ひたすら、父と自分の記録のためにこれを書いているつもりでも、やっぱりブログなので、どこかで読み手を意識している。
それは当然のことだと思う。
先日、新聞の「中学生学力アップ講座」みたいなので、国語の読解問題で、「媚びる文章と、ひとりよがりな文章」というようなテーマの文章が載っていた。
筆者さえ忘れてしまいました、すみません。立花隆さんだったかなあ…??
前者は特に、文章を書く初心者が陥りやすい欠点で、「媚びる文章」とは万人に微笑みかける、TVでアイドルがにこにこしているようなもので、TVなどのビジュアルにおいては、万人向けの笑みは効果もあるが、文章では、読者は必ずそれを見抜く。
「みなさん、いつもありがとう…」と、にこにこ微笑んで語りかけるような文章だ。
文章でそれをやられたら、読者は馬鹿にされているような気分になるし、実際に筆者は読者を下にみている。
一方ひとりよがりの文章というのも、「驕り」からきている。自分の書く文章はきちんと解釈してくれるのが当然…のようなところにハマってしまうことがあるので、プロでも「編集者」のアドバイスが必要。
自分の書いた文章を客観的に読めることが大切だ…というような内容だったと思う。
う~ん…ものすごく「なるほど~~」と、いろいろ思い当たることがたくさんあった。
日記以外の文章は「伝える」ために書くものだ。
顔の見える人、見えない人、ごちゃ混ぜの「ブログ」という場所に父との最後の日々の記録を書いて私はどうしたいのだ…
まあ…それはともかく、父は今、「食欲旺盛」の時期は終わったらしい。
少しずつまた、食が衰えてきている。
リハビリを頑張ろうよ…というのも幻想に終わったのか、、、
リハビリもできない、もう家にも帰れない、踊れない、ベッドで寝て食べるだけの日々の父に、正直いって、私はそれでも生きていてほしいと思わない。
父には心やすらかに、旅立ちの準備をしてほしい。
その時がきたら、本当に厳かに、見送ってあげたい。
死は旅立ち…?
そんなことも、幻想かもしれない。
仏教とキリスト教の死生観についても考えたりする。
私はこれまで、人は死んだら転生しながら修行をしていくように思ってきたので、
現世の記憶は死んだらリセットされるし、「あなた」と「わたし」の関係は現世限り。
だからこそ、「一期一会」この袖振り合う出会いを本当に大事にしなくてはいけないのだ…と思ってきた。
ところが…キリスト教は、「転生」しないのだ。
修行なんかしなくてもいい、イエスさまを救い主と信じればいい…
ああそういえば、仏教も、宗派によって「南無阿弥陀仏」とか「南無妙法蓮華経」と唱えるだけで救われるんだっけ…とか、、、
「救われる」とは…「天国にいける」こと…のようだ。
「天国」ってあるよね…でも「地獄」もあるらしいじゃないの。
そんなん信じられない。
神様は人間を永遠の地獄に落とすのか…?
…こんな宗教でも、この世での生を終わろうとしている人の心の平安に役に立つなら、なんでもいいよと思った。
ホントのところなんか絶対に人間にはわからない。
私は神様を信じているけれど、この世にものすごくたくさんの宗教があるけれど、
神様は唯一絶対に決まってるよ。
どの宗教が正しいのかさっぱりわからないけれど、私は、死ぬときは神様の掌にすべてを委ねて掬い取られていくよ。
父は、どう思っているんだろうか。
父は、自分がもうすぐ死ぬことを察知しているのだろうか?
ヒロコさんと父の間には、「死ぬ」ことについての会話はないのだと思う。
これまでの人生、ずっとラブラブで過ごしてきたパートナーと、もうすぐお別れすることになるのに、、、
そんなでいいの?
いつ、二人でそんな話をするの?
「天国で、待っているよ、また会おう」
こんなんでいいじゃん。
父は、家に仏壇と神棚があって、毎朝、神棚に向かって拍手を打つ信心深い人でした。
でも、今、神様のこと、忘れてるんじゃないかなあ…
父に神様のことを思い出させてあげたい。
「お父さんはもうすぐ死ぬから」とは伝えずに。