スマホの電池パックが今日届いた。(品切れで入荷待ちだった)
スマホの車内用ホルダーも買った。(ナビ用)
ガソリン満タンにして、タイヤの空気圧もチェックしてもらった。
なんたって17年モノのToppoやからね。
本日これで息子がこれから住む住む大阪に荷物を運びます。
40年前。
私が東京の音大に進学することになった時、
私はブルートレイン「瀬戸」で1人で東京に向かいました。
このブログのどこかにも書いているのですが、出発する前に、私は実家の仏壇に手を合わせ、
「私はもう二度とこの家には帰ってきません。ご先祖様、どうか家族をお護りください」と祈りました。
もうここに住民票を置くことはないって意味ね。帰省はもちろん何度もしてますけど。
朝、ブルートレインの中でスーツに着替え東京駅に着いてから、駅のトイレで顔を洗い歯磨きをして、中央線に乗り換えて立川へ向かいました。白のスーツにピンクのブラウス。これが勝負服。
入学式は「立川市民会館」で行われました。
立川駅からバスで現地に向かいます。
そこには、両親に連れ添われたお嬢さまやお坊ちゃまだらけで、私は場違い感200%…いやそれ以上。
ドレス着た子もいる、、、( ̄□ ̄;)!!
「お母さま…」と叫んでる子もいる( ̄□ ̄;)!!
音大なので、新入生に送る奏楽を、現役のオーケストラが演奏して下さるのですが、何だか霞のかかったような、あまり感動的でない演奏に、私は気持が限りなくどんよりと落ち込んでいったものでした。
私はなんと場違いなところに来てしまったのだろうと…
息子も私のように「ここには帰ってこない」と決心をして旅立ち、志望大学に合格できなかった挫折を味わいながら、入学式に臨んだかも知れない…
私の両親は、軽トラで、私の荷物を運んできてくれました。
そして私のアパートに1泊して翌日帰りました。覚えてないけど、私はもう一晩泊まってと言ったらしい。
でも、両親は仕事があるから延泊はできないといって帰っていった。
帰途、母は劇泣きしたそうです。もう一晩一緒にいてやればよかったと。
その話は、つい先日、息子の荷物を車で運ぶ話をしたときに、母から聞きました。初耳。
ですので、私、いちおー2泊できるよう、シフト&レッスン調整しました。甘いな~~ヽ(`Δ´)ノ
私も、息子を送り出して、荷物を運んだ帰り、泣くんだろうか?
私には、「次いこ次!」みたいな思いがあって、息子がいなくなると同時に、具体的にくっきりとしてきている未来があります。
18年間息子を育ててきたことは、ほんとうに幸せな人生だった。
この私が子供を産んで育てたなんて、奇跡だ…
「いろんな出来事かあって君は泣きじゃくってきたね
だけど泣きやむたびに一段ずつ階段を昇った」
(バースデーケーキ)
私はここで息子ロスに心行くまで浸ろうかと思ったけどこの状況、桜いつまでも咲いてない。「次いかねば!!」
私の今後の計画
1 結婚する
2「ミュージックあにまあと」を大人のPiano&Vocal教室としてリニューアルする
3 教会のワーシップチームとクワイヤーを育てあげる