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Takの夏休みの課題研究の一貫として、瀬戸内国際芸術祭の舞台でもある「大島」に行きました。
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「大島」は、「ハンセン病」の国立療養所がある島…というよりも、大島といえば、療養所しかない。
私が小学校5,6年生時代を過ごした、海辺の、小さな漁業の町「庵治町」に属していました。
家庭の事情で、高松市内から庵治に引っ越してきた私は、バスに乗って市内の学校に引き続き通っていたので、庵治に友達がひとりもいなくて、私の作業着のようなブルーグレーの制服や、黒い運動靴を見て、地元の男の子たちに「コイツ、地下足袋履いとるぞー」「オマエ、どこの学校いっきょんや。大島の分校かー?」
って、はやしたてられたのをとってもよく覚えています。
その日の夕飯のとき、母に「大島ってなに?」と聞きました。
40年近く前のこと。
当時は、まだ「ハンセン病」ではなく「らい病」という名前で、それはとても恐ろしい病気で、顔や手足が人間と思えないほど変形してしまう。感染するので、その病気になったら、一生隔離されて過ごさなくてはいけないのだと教えられました。
患者さんご本人もご家族も、徹底的に差別されて一生を過ごさざるを得ないような法律を、政府は、ハンセン病は非常に感染力が弱いと判明し、遺伝することもなく、しかも「治る病気」となった後にも長い間放置してきたということ…
現在は、平均年齢80歳の回復者の方々が、静かに暮らしていらっしゃる島です。
「患者」と呼ばれる方はもういません。
初めて訪れた「大島」は、とても海の水がきれいで、のどかで、美しいところでした。
「ハンセン病療養所の悲惨な歴史が風化しかかっている…」と感じました。
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集会所 これは、芸術祭のアート作品ではないので撮影可
瀬戸内国際芸術祭見学者は、島についたらまず、集会所でガイドさんの説明を受けてからガイドツアー、その後自由行動となります。
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まず、ガイドツアーで、療養所開園以来ある「納骨堂」と石碑のある広場へ。
3基の碑は、それぞれ亡くなられた方、優生保護法により、出生が許されず、人工妊娠中絶で命を受けることができなかった赤ちゃん、そして、この園に尽力された博士の碑。
それぞれにそっと手をあわせます。石碑の後ろに広がる瀬戸内海があまりに美しくて、胸がつまります。
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ここは火葬場。
入り口の前の石造には「生涯孤島但し安心立命」と刻まれています。
ここに連れてこられた人は、一生、一歩も島から出ることもなく、訪れる家族もなかった。
火葬も、住民同士でしていたそうです。
1992年に、約1000人のボランティアによって作られたという「風の舞」というモニュメント。
この下に、納骨堂に収め切れなかった遺骨片が眠っているそうです。
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居住区内は、立入できませんが、居住区の一部の住居の空き部屋となっている棟に展示してある作品を見ることができます。
海岸の漂流物の一部を磨いて、畳の上に置いただけのもの
亡くなられた方の遺品の中から、当時の生活の様子がうかがい知れるもの…
など、作品は、とてもシンプルなものです。
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撮影及び掲載は個人的範囲ということで許可を得ました
「これが作品?」と思われるかも…
でも、この島の歴史や、ハンセン病の歴史をずっしりと受け止めさせられる、アーティストの自己実現でなく、これこそが、「アート」の使命なのだと強く感じました。
今はのどかで美しい島の中で、嘗てどんな思いが交錯したり、消えていったりしたのだろうか…想像を絶するけれど、、、一度は立ち止まって、心の深いところに刻んでおきたいと思いました。
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これは、参加型プロジェクト。
折り紙で木を作って、出来上がったものを、この園で使われていた家具…箪笥や食器棚の引き出しを開け放って、たくさんたくさん植えようというものです。
これも、ハンセン病の重くて暗い歴史(嘗ては患者の家を消毒したりすべて焼き払ったりした)があったことに対する贖罪ともいえるでしょうか。
安易ととらえる人もいるかもしれないけれど、島を訪れる1人1人がこの風化しかかっている歴史をいまいちど認識して、それぞれがこれから生きて行く自分にできることを考えられたらいいと思います。
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