WIND AND SOUND

日々雑感 季節の風と音… by TAKAMI

「戦友」

2014-02-20 | アーティスト魂






「ここはお国を何百里離れて遠き満州の…」

…って、このフレーズぐらいはどなたさまもご存じなのではと思います。


とあるグループホームからミニコンサートの依頼を受けていますが、
リクエスト曲の中にこの「戦友」があります。

他にも、リクエストいただいたのは、マイナー(短調)の曲が大半。
「人生の並木道」
「かえり船」
「うれしいひなまつり」(これも短調)


中でも一番「え~~っ!!」と思ったのがこの「戦友」でした。
あまりにもマイナー(短調)の曲が多いので、真っ先にこれを却下しようと思ったのです、SYOさんとの初回リハの折り、これはあまりにも暗すぎるのではと、、

しかし…何故に「戦友」? 依頼者の方にお話を伺うと、利用者のみなさん、この曲をレクの時間にかなり雰囲気よく歌われているのだとか…
そして、依頼者の方も、「いい曲だし、ぜひTAKAMIさんに歌ってもらいたいと思って…」と、、、、

「いい曲」とな!!
軍歌じゃ~~~ん!! これを私に歌えと!?!?
さあどうずる( ̄□ ̄;)!!


ちなみに全歌詞は、掲載しませんがこちらでご覧いただけます。


つまりは、戦闘の最中、友が敵に撃たれた。
その友は、1年前、満州に渡る船の中で出会って意気投合した「戦友」なのであった。
1本の煙草を分け合ったり、家族からの手紙を見せ合ったり、死んだら骨を頼むと約束も交わした。
彼は昨日までは先頭切って突進していく勇士であったのに、今日は敵の弾に撃たれ、助けることもできず、友を置き去りにして軍として先へ進むしかなかった。
戦闘が終わったあと、日暮れに友を捜しにいったら、友の亡骸のポケットの中で懐中時計が動いていた。
その後自分だけが、本国に帰る運命となってしまい、せめて戦友の最期を親御さんに伝えようと手紙をしたためる…

とまあ、そんな歌詞です。

全歌詞を読めば、壮絶なドラマであり、しかも「軍歌」のかたちをとっていながらこの歌はレクイエムです。

この曲は日露戦争時代につくられたそうです。
日清・日露…戦争イケイケモードの最中ですね、、、
しかし、太平洋戦争のときには、この曲は禁歌になっていたとのこと。


赤い夕日の満州
そこでの最前線の戦闘の様相。
私がいちばんリアルに迫ったのは、戦闘が終わってから、撃たれた友を日暮れに捜しにいったが、彼は死んでいた…というところ。
その場所には、きっと、その友のほかにも幾人かの亡骸があったかもしれない…
そんな壮絶なイクサの歌を、この時代の人たちはどんな思いで歌っていたのだろうか。

リクエストの中から即却下しようとしたけど、やってみることにしました。
また別の方からリクエストをいただかない限り、もう二度と歌うつもりありません。
…しかし、これを歌うからには、自分なりに納得できないと。

大変厳しいところに追い込まれました。
嘗て、「街を渡る風」という、愛する人を亡くした歌を作ったとき、どん底に追い込まれまくりましたが、事態はそれよりも深刻で悲惨で辛い…


「KAZEの弦」は、究極的には、1人のクライアントさまに歌を届ける活動をしていく心積もりなので、
今後も「軍歌」またはその周辺のリクエストをいただく可能性あり。


明日は本番。

満州の赤い夕陽に包まれ、友を探しに行き、死んでいた友のズボンのポケットから、時を刻む懐中時計の音を聴き、穴を掘って友を埋める

…という歌を、やはりここは基本バラードでいきます。


Comments (4)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« バレンタインうどんデート | TOP | 「サロン・アマリア」 »
最新の画像もっと見る

4 Comments

コメント日が  古い順  |   新しい順
拍手です (hige)
2014-02-21 07:36:35
TAKAMIさんに拍手!
「軍歌」だからといって、即却下にはなりませんよね。
誰がどのような想いで唄ったか。
いつも泣くのは弱者。この歌を当時、現地で歌った方の心に寄り添う姿勢と眼差しに拍手!!
返信する
 (TAKAMI)
2014-02-21 19:20:28
♪higeさん
ありがとうございます。歌って参りました。
アレンジやイメトレ、時間不足でしたが、精一杯歌ったつもりです。
これを期に、満州国についてもいろいろググりましたし、
これもひとつの「出会い」かなと感じます。
返信する
Unknown ()
2014-02-22 19:45:02
有難う。我々は戦後の生まれではあるけれど、それ以前にこの国の先達が過ごした時を否定はできない。それぞれがそれぞれの形でその時と向き合わざるを得ないことも有ると思う、求められたのが軍歌と云う かたち が、歌い手としての貴美の出会いだったんだよこの国の歴史との。蛇足ながら、私は幼年期に度々この歌を含め多くの軍歌を、復員して父を訪ねてきた人達から聞かされた。大陸での南方での島嶼での激しい交戦、飢えや病や長い俘虜生活の苦労、戦友の死。親兄弟、地域の人々に送りだされた兵隊たちが、誰一人見守るものも無い草むらや穴倉で死んでいくのを知りながら、前に進むしかなかった…大の大人が鼻水を垂らしながら何年も前に亡くなった戦友を語っていた。私には鮮烈な経験と共に刻み付けられた唄が軍歌だった。そしていつまでも、これらの唄を耳にするとやせ細ってみすぼらしい姿のオジサンたちを思い出す、かつて上司で在る父が送り出した、勇敢な戦士を。心を籠めて・・・・。 (2014-2-20 23:19)
返信する
 (TAKAMI)
2014-02-22 19:48:12
♪禮さん
ありがとうございます。お察しのとおり、「出会い」でありました。
今日はアルバイトから帰ってから、そして、レッスンが終わってから、ずっとPCの前で、「満州国」周辺についてググっていました。
ピアノSYOさんは、満州生まれで、お父様は戦死されたのです。先日、SYOさんと一緒にこの曲のアレンジをやりました。
SYOさんのピアノでこの曲を、どのツラを下げて歌えばよいのか… 
とにかく上っ面だけでない、短期間で咀嚼しきれないけど、なにも知らない戦後の若造が、80代、90代の大先輩方からのリクエストを受けて「軍歌」をうたいます。謙虚に、真摯にうけとめて、歌いたいと思います。
「春よ、来い」もうたいます。こちらは、「春よ来い♪」とうたったとたんに、ぶわぁ~~っっ!と、春が広がる、とっても素敵な仕上がりになりました。(2014-02-21 00:10)
返信する

post a comment

Recent Entries | アーティスト魂