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「蜜蜂と遠雷」第1次予選が終了。
これから読んでみようと思ってる方は、以下ネタバレ含みすので、ご注意ください。
2度目なのに、1度目より多分泣きまくっている私。
それぞれのコンテスタントの演奏が終わっての観客の反応なども、超リアルに頭に浮かんでしまって、ここにも泣けるのだ。
そして、初回は、もう風間塵にとにかく夢中になってしまった私は、亜夜とマサルについては、あまり掘り下げていなかったのでしたが、この2人の知音的深い関係もスゴイ。羨ましい。
巷のこの世代の男女が、恋愛とか、それにも満たないようなペラいような関係をやってるときに、こんな深いところで共鳴しあえるのっていいなあ…
…と、マジで登場人物に本気で感情移入しまくれるところまで書き込む作者はほんとにスゴイ。
そして、恩田陸さんと、編集担当者、志儀保博さんとの関係もふっっっか~~~く知音だ。
めっちゃ羨ましい関係。
このお2人は小説の登場人物ではなく、実際のナマミの方々なので、もう、ぐぐぐぅぅぅ~~っと超羨ましくてたまらん。
文庫本「蜜蜂と遠雷」の志儀さんによる解説を読んでると、作者への深いリスペクトと深い愛情がひしひしと感じられます。
さて、読書しつつ、私の新曲も、整えつつあります。
まだまだ先は長い。
私はこの曲を令和のバラードにしたい。
同世代の男女は、みなさん、「昭和回帰」みたいな感じなようですし、カラオケで歌う曲は小学校高学年あたりの「明星」や「平凡」の歌本にあったものとか、セイコちゃん初期や、明菜、伊代などなど。
一方、息子が帰省した折に息子が聴いている音楽は、「時代は流れて今はこうか…」と、感慨深いものがあります。
私の印象としては、ドラムやベースがどどーんと底辺で主張している上に、ギュイーンなギターソロがあって、ヴォーカルはあくまでも飄々と、「ぴゅあ」な歌詞が流れていく感じ。
昭和のドロドロ感、恨み節…みたいなのは全然ない。
時代はとんどん次へ次へと進んでいく。
先日、カッシーと新曲のアレンジについて「音声」したところ、
カッシーに
「そんなに広い部屋なら、まずはPCを部屋の真ん中に設置して、そこで部屋の中のすべてを制御できるようにするべきだ」と言われた。
さらに中央にどーんと2台、スタンドのついたステレオのスピーカーを設置して、日中いちいちイヤフォンやヘッドフォンで、あちこち移動してちまちまと聴かなくてもよい環境にするべき…それが「令和」だろぉ。とも言われた。
PCは隅っこに追いやり、ピアノ下のアンプとレコーダーとマイクからは大変遠いのです。アンプはモノラルだし。
うーーーん。仰るとおり。いいなー、やはり令和の環境で令和の曲を作るべきだな。
…その方向で歩もう。
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最近は、牡蠣鍋マイブーム。
何時間もかけてゆるゆるいただいております。
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