日本の「アカデミー賞」とやらが、今日あるらしいの
だが、なんだか田舎の「ミスコンテスト」的貧乏臭さ
を感じる。
要するに、しょぼいのだ。
かといって、本場の「アカデミー賞」がすばらしいと
思ってるわけでもなく、あちらはあちらで「虚飾の世
界」丸出しの、どうせ「薬漬けの日々」なんだろうな
と、先入観を抱かせるようなわざとらしい世界だ。
が、その表面的な華やかさに本気で憧れる人も多いの
だろう、演出たっぷりでどうにか近づけようと苦心し
ている。
セレブだどうのと、所詮は成り上がりなのに(だから
こそ余計に憧れるのだろうが)、無理するからおかし
くなるのだ。
たとえば「華やかなドレス姿」も、虚飾の世界ハリウッ
ドでこそ似合うものではないか。
むしろ痛々しく感じてしまうのは、自分だけか?
何も真似することは無いだろうと思うが、何度もやっ
てればそれなりの権威が出てくるそれを狙っているの
か。
いずれにしろ、どちらも興味がわかない世界である。
昨日の続きになるが、興行的には絶対だめだろうとい
う映画を選ぶ自信はある。
つまりそれは、自分が気に入ったものを言えば良いだ
けのことだ。
ということは、関係者にとってはこちらは貧乏神のよ
うなものになる。
気に入られたら最後、儲からないというお墨付きを貰
ったようなものだから。
それで思い出したが、映画少年Yのお気に入りの店は
大体つぶれるか消滅するという法則がある。
彼は、店にとっての貧乏神ということになる。
本人も薄々それに気付いていて、なくならない事を祈
っているようだ。
それにしても、貧乏神というのは人知れず生息してい
て、しかも一所に集まる傾向があるようだ。
全然ありがたくないことだが、これも一種の類が友を
呼ぶということなのだろうか。