新しめの日本映画は、かなり久しぶりだ。
「カミユなんて知らない」というのは、その映画のタイ
トルで、監督が柳町光男という、もう中堅を通り越し
てベテランと言っても良い、かつて「火まつり」や「1
9歳の地図」などを撮った人だ。
正直、まだ撮ってたんだ、と意外な印象を受けた。
とうに、引退、というより映画界から消えていたのだ
と思っていた。
そしたら、この映画2005年だという。
危うく、「カミユなんて知らない」は知らない、とな
るところだった。
舞台は大学。
明らかに立教の構内だが、勿論違う名前の大学。
そこの学生グループの映画作りの過程を、青春群像的
に描いていく。
映画学科的な雰囲気があるから、池袋の「立教」と西
武線で池袋から三つ目の江古田の「日大芸術学部」を
足して二で割ったような大学だ、などと全く関係ない
ことを考えながら見ていた。
大学が舞台の映画と言うのは、今まで数多くあったが
これだ、というのは思い出せない。
真っ先に浮かんだのが「イチゴ白書」と「日本の夜と
霧」だ。
古すぎる。
この映画のどこか見たことあるよう懐かしさも、それ
らの映画となにかしら共通する部分があるのか。
タイトルのカミユは、勿論あの「異邦人」のカミユの
ことだが、主人公の不条理殺人が、彼らの映画作りの
テーマになってるらしく、ある年代以降だと「カミユ」
という作家の名前すら知らないと言う事実を示すため
に、つまり今時の学生の文学体験の貧困さを表したく
こんなタイトルにしたのかもしれない。
笑ったのは、彼らを指導する教授。
嘗ては自ら映画を撮っていたのだが、今は理由(挫折
のようなもの)があり撮っていない。
その彼が、ある美少女に惹かれ、老醜を省みずアプロ
ーチするのだが、そこが見もの。
完全に「ベニスに死す」のパロディーで、ダーク.ボ
ガード演ずる「エッシェン.バック」だか「オッフェン.
バック」だか「アッシェン.バッハ」だか、兎に角そ
ういう名前の文学者が、若く見せようと白粉を塗り、
白いスーツを着て出かけるところをそっくり真似てい
るのだ。
おまけにその時かかる「マーラー」も同じだ。
ちょっとした悲劇なのだが、出典を知っていると笑え
る。
しかし、知らないと全く惨めなシーンとなる。
所謂、楽屋落ち的シーンだ。
全体に、ある世代以上だとそれなりに楽しめるのだが、
「カミユなんて知らない」世代は、一体どう受け止め
るのか。
その辺は興味がある。
今だったら「海辺のカフカ」は知っている、ってとこ
ろだろうが。