ピカビア通信

アート、食べ物、音楽、映画、写真などについての雑記。

日本賞

2007年11月03日 | Weblog


ドキュメンタリー作品に与える賞で、世界が対象のNHK
主催の「日本賞」、存在は知っていたが具体的にはあ
まりというところで、その選考の模様のドキュメンタリー
を見た。
ドキュメンタリーを選ぶドキュメンタリー。
別に面白くないか。

番組は、選考委員の、最終的には多数決で決めるのだ
が、そこに至るまでの意見の対立、議論に焦点を当て
ていた。
そして、最後に「日本賞」を決める。
候補は2作品に絞られた。
一つは、自閉症の息子を母親が撮った作品。
「アスペルガー症候群」という、コミュニケーション
能力が劣るが、あるものに対する能力が秀でていると
いう特徴がある病気、の息子、その彼が周りの人間と
上手くやっていけず孤立する様子を、ありのまま撮っ
ていた。
自分の息子の置かれている、いたたまれない状況をよ
く撮れるものだと、別の意味で感心した。

もう一つは、差別をテーマにした作品(前の作品も
その要素はある)。
学校の授業で、クラスを無理やり二つのグループに分
ける。
それは背の高さ。
生徒には、尤もらしい理屈をつけ、その正当性を信じ
込ませる。
最初は、背の高い方を能力的に劣っていると言って。
すると、何かあるごとに、その理由を、背が高いイコール
劣っているからということに結ぶ付けて、差別が始ま
る。
卑近な例では、血液型なんかこれに近いかも。
背の高いグループは、言われなき差別を受ける。
そして翌日、今度は背の低いグループが実は劣ってい
る、と昨日の理論は間違っていたと言って訂正する。
すると、昨日とは全く立場が逆転して、同じ事が起こ
る。
という実験のドキュメンタリーであった。
両方の立場になって、初めて知る差別の構造、という
ことだが、昔から有名な実験らしく、今は問題があっ
てやらないらしい。
ちょっと劇的で、あざといとも思われる作品で、解り
易いと言えば解り易いのだが、ちょっとどうかなとは
思った。
アメリカの委員が「人間はどちらかの立場だ」と言っ
たのが特にひっかかった。
それをいうなら「人間はそのどちらでもある」だろう。

結局、「日本賞」は自閉症の方に決まった。
この辺を、予定調和的と見るか。
番組を見ていた人は、「自閉症」の方に行ってほしい
と見ていたのではないだろうか。
ドキュメンタリーの難しいところは、ありのままとは
言っても、撮られる方が演じる事もあるし、撮る方の
恣意も入るし、結局見る側が全てを考慮して判断しな
いといけないところ。
うーん、尤もらしかったか。

訂正)
日本賞は、学校の授業の方でした。
完全な勘違い。
コメント