ミシュラン日本版は、思ったより反響があるらしく、
良く売れているということを聞いたが、本当なのか。
まだ判らないが、ひょっとしたらフランスでのフランス
国内版より売れるかもしれない。
予想通りの、日本人の権威にたいする弱さを露呈した
ということになりそうな雰囲気である。
少なくとも、フランス=ミシュラン=ブランドという
図式は成立しているのだと思う。
暫くは、掲載された店は大賑わいになると思うが、そ
れがいつまで持つか。
こういうものに影響される人間は、行ったという事実
だけがほしいので、まずリピート客にはならない。
全店制覇、などと嬉しそうにブログ上に宣言するのも
出てくるんじゃなかろうか。
とりあえず行く為のモチベーションが与えられ、やる
気満々な人間が、少なくとも何人か何十人かは生まれ
た事だろう。
以前だったら、掲載された店を見て、興味を持ったと
ころに今度行ってみようかなどと思ったかもしれない。
しかし今は、全くそうならない。
誰かにゴチしてもらうならその限りではないが、自腹
でなどもってのほかだ。
例えば三ツ星の「次郎」というすし屋など、予算三、
四万と言われているし、しかも客をあからさまに差別
するらしいし、山本益弘が広報としてべったりだしと、
こういうところだったらゴチでも行きたくない。
しかし、かなりの人気店らしい。
世の中には、そういうところで特権的な気分を味わい
たい人間もいるのだ。
むしろそういう人間の方が多いのか。
いずれにしろ、三ツ星など貰うと更に偉くなってしま
うことだろう。
店側も客側も。
ブログで良く目に付くのは、食べ歩きであるが、ブロ
グの主が決まって言う言葉がある。
「私はグルメではないが」ということ。
つまり、グルメではないが、美味しいところは分かっ
ているので紹介します、という非常に曖昧な位置にお
いて批判だけはかわしたい、つまり、都合の良い立場
を確保したいという意思の表れだが、やってることは
グルメのやることそのものという気がする。
味にうるさいと思っているのだから、他人よりはグルメ
だという意識はあるはずだ。
グルメであると宣言できるほどの自信はないが、実は
グルメだと思っているということなのだから、わざわ
ざ「私はグルメではないが」という保険をかけるのが
何とも潔くない。
いっそのこと「私はグルメ気取りです」と宣言すれば
むしろすっきりする。
そして、グルメと判断するのは他人、つまり相対的な
価値なので(本当に価値かどうかは置いといて)、自
らそれに言及する必要もないのだ。
基本的に皆(自分も含め)グルメ気取りなのだ。
そんなところに、映画少年Yがやってきた。
そして何やら赤い本を小脇に。
まさかミシュランではあるまいな。
「やっと買えました」とYは嬉しそうにミシュランを
差し出した。
「おいおいおい」とおいの三乗を思わず発した私は、
図らずもミシュランの威力を目の当たりにしたのであっ
た。
思ったより影響力が。