ピカビア通信

アート、食べ物、音楽、映画、写真などについての雑記。

ジャ.ジャンクーその後

2007年11月18日 | 映画


「プラットホーム」を途中棄権したスノッブなM氏に、
今度は「青の稲妻」あるけどどうする?と聞いた。
M氏は、「また長いの」と言うので「110分ほど」と
答えた。
そして、DVDに書いてある「マーチン.スコセッシ、
これは新たな勝手にしやがれだ」などという惹句に反応
して「借りる」と言った。
「プラットホーム」よりは解りやすいが、と言いかけ
て止めた。
そうとも言えないので、まあ短い分見やすいかなと言っ
ておいた。
どんな感想が返ってくるか楽しみである。

そしてもう一本の「プラットホーム」であるが、無事、
更科の主人のところに渡っている。
この前店に行った時聞くと、全部見たと言った。
2時間半を一気に見たらしい。
思わず「ほんまでっか」と言った。
主人公が誰とも言えず、いろんな話というか場面が、判
りづらく展開し、知らないうちに時が進み、ドラマ性
などというものもなく、物語としての起承転結も一切
なく、一体どこが面白いのか、と聞かれれば、多分退
屈極まりない映画だ、というのが一番適切な返答であ
るのだが、魅力的なのだ。
そんな映画であることは、予め主人には言っておいた
ので、それなりの覚悟をしてたようで、戸惑いはなかっ
たということである。
途中、眠くはなったようだが、これも自然な反応で、
かく言う私も何回か睡魔に襲われた。

そして主人は「もう一回見るからまだ貸しといて」と
言った。
かく言う私も、続けて二回見た。
普通の映画(物語中心の映画、よくネタばれ注意とか
言われる映画、要するに落ちの為に作ってる映画で筋
を知ったら面白さ半減という映画のこと)だと、二回
も立て続けに見られないが、これは全くその心配はな
い。
まず、筋そのもを上手く説明できない。
そして、落ちなどもないし、多分、見るごとに何か発
見できる映画であると思う。
ただ、ちょっとした忍耐を強いられるのが玉に瑕では
ある。

よく引き合いに出される「ゴダール」と比較すると、
この映画の特徴が判るかも知れない。
「ゴダール」の場合、物語を解体したところから始ま
る。
そして、映像もそれに沿って、コラージュのように小
気味良く断片を組み合わせ展開していく。
見るほうも、始めから普通の映画を見るというのとは
違う態度で接するので、戸惑う事はない。
「結局のところ判らなかった」という反応で終わる事
が多いが、これもまた不思議ではない。
「ピカソ」が本当に良いと思えるかどうかというのと、
かなり近いものがある。
で、ジャ.ジャンクーの場合だが、ゴダールと違って
一見普通の顔だから戸惑いも多いのかと思う。
場面場面は、日常の風景、それも小津安二郎のような
世界である。
小津安二郎も、実は、前衛的な部分があるのだが、全
体では起承転結の物語となっている。
ところがジャ.ジャンクーは、小津の映像で、ゴダール
のようなコラージュ的様式をとっている、ように感じ
るのだ。
一見普通なのだが、どうも違うと感じるのはそれが原
因ではないか。
コラージュと言っても、時系列で前後する事はないの
で、よくある、今の話か、過去の話かといった「判りや
すい判らなさ」とはまた異質の判らなさである。

と、更科の主人と話している時に思った。
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