今日の新聞に、最近のアートの状況に関する記事があっ
た。
「俗流化」という言葉で表わしていたが、個人的にも
感じていることなので、思わず「そうそう」と頷いてし
まった。
どういうことかというと、市場化の波がアート界にも
押し寄せて、人気のあるものが芸術性があるかのよう
に受け入れられ、それがアートの主流となっていしまっ
ているのが今のアート界であるということ。
昔のように、芸術イコール難しいではなくなった。
まず、芸術という言葉もアートとなることによって、
その重さもなくなり軽くなり、その敷居が低くなり(悪
いことではないが)、ポップで軽い具象的な万人に受
け入れやすいものばかりが、次から次と生み出される。
実際それらを見ても、単なるイラスト、アニメにしか
見えないのだが、それが恐ろしいほどの金額で取引さ
れているのが現実だ。
売れるものが良いものである、というのが絶対的基準
であるかのごとくなっているのが、市場経済の一番の
欠点であるかは判らないが、そう思っている人が多い
のは事実だ(思わされていると言ったほうが良いか)。
文化の衰弱化、と言えるのではないか。
一般的に言って、売れるものはその通俗性が大きな要
素となる。
万人向けな要素と言い換えても良い。
経験的に、通俗的なものに質の高いものはない、とい
うのは知っている人は知っていることではないだろう
か。
例えば骨董。
一見派手な金を使った壺とか、縁起物、いかにも高そ
うだがいかにも趣味が悪い。
見るからに俗っぽいものだが、一般的にはそれなりの
人気がある。
絶対後世に残るものではないが、市場価値は常にある。
つまり、そのものの美的価値ではなく、商品価値がそ
んなひどいものでも確実にあるのが世の中なのである。
趣味が悪い、と思っても、当人は全くそうは思ってな
いから、そう思ってない同士で常にそれなりの価値で
取引され続ける。
そこに目をつけ、投機的な目的で一儲けたくらむ輩も
参入して、一気に魑魅魍魎の世界となるのが骨董の世
界だが、今のアート界も同じような状態となっている
と言える。
特に最近は、中国マネーが、かつてのバブル期のジャパン
マネーと同じ役割を担っているようだ。
結局は、商品価値が作品の芸術的価値と一致しないと
いうことが問題なのだが、もっと問題なのは、その芸
術価値というものが客観的に証明できないということ
なのだ。
主観の領域なので、例えば個人的にセンスが良いと思
う芸術家に対して、他の人がそう思うかは全く別問題。
人それぞれがその人なりのセンスで判断する。
ただ、通俗的なセンスの人というのは、ある程度とい
うか、かなりの確信を持って判断できる。
そして、そういう人が良いと思う物は、殆ど100パー
セントこちらからすると評価できないものであるのだ。
しかしこれも、向こうからすれば全く同じことがこち
らに対して言えることである。