ピカビア通信

アート、食べ物、音楽、映画、写真などについての雑記。

キュジーヌ.コンテンポラリー2

2008年02月10日 | 食べ物


T君と「キュジーヌ.コンテンポラリー」がどうのと話
をしているが、どちらもそのものを経験しているわけ
ではなく、多くは想像で話しているに過ぎない。
だから、味がどうのこうのも全て想像上なので、本当
のところは分からないのだ。

「格好つけた店は苦手なんですよね」(T君)
「店内に緊張感が漲ってるような」(私)
「そうです」(T君)
「ところでT君、そういった店に行ったことあるの?」(私)
「いや、無いんですけど」(T君)
「じゃあ一回くらいは、行っても良いんじゃないの」(私)
「そうなんですけど、高いんですよね」(T君)
「確かに、昔だったら好奇心が勝ってたからこちらも
行く気にはなったけど今はね、でもT君、ビストロ料
理と比較するためにも一回くらいは」(私)
「ところが、優先順位からするとまずCDですから僕
の場合」(T君)
「去年の忘年会でしょぼいところで七八千円使ったこ
とを思えば、そういう店のディナーは無理として、ラ
ンチだったら充分いけるんだから」(私)
「それは言えますね」(T君)
「少なくとも、忘年会よりは得るものがありそう」(私)
「そんな感じはしますけど、しょうもないことで使っ
ちゃうのが現実なんですよね」(T君)

「自分の場合も<キュジーヌ.コンテンポラリー>なん
てもう無縁なんだけど、ほら、なんだかんだ言っても
過去それなりに経験があるから、ある程度想像がつく
し、まあ適当に言ってる部分も多いけど、それなりに
説得力はあるでしょ」(私)
「そうなんですよ、なんか尤もらしいですもん」(T君)
「他人の尤もらしい言説には疑問を持ち、自分の言説
にはスルー、これだね」(私)

「それより<キュジーヌ.コンテンポラリー>って誰
が言い出したんだ、本当にそんなこと言ってるのか
ね」(私)
「どうせどこかの雑誌が言い出したんじゃないですか」(T君)
「<ヌーベルキュジーヌ>はすでに古典で、今や<キュ
ジーヌ.コンテンポラリー>か、モダンアートからコン
テンポラリーアートと本当同じような変化の仕方だけ
ど、アートのように表現様式ががらっと変わるもので
はないから食べ物は、基本の食べられる物であると
いうことは絶対的だからね」(私)
「便器を持ってきて作品というわけにはいきません
よね」(T君)
「食べ物に関しては、保守的な部分というのは絶対的
なベースだよね」(私)
「基本保守的と」(T君)
「でも、どこかの店で<土>を食材として新しい料理
なんてやってたけど、あれはひょっとして<ダダ>な
のか、いや、あそこまで行くとやりすぎて崖から落ち
たと言うべきだろう」(私)
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