ピカビア通信

アート、食べ物、音楽、映画、写真などについての雑記。

ゲアトルーズ本編

2010年04月03日 | 映画


ゲロゲロ少年Yに借りた「ゲアトルーズ」を
見る。内容は、ある貴婦人の、旦那(今ま
さに別れようとしている弁護士)嘗ての恋
人(詩人)、そして今の若い愛人(結局は
主人公が弄ばれた才気ある音楽家)三人に
纏わる愛の物語である。個人的には一番見
る気が起こらない内容である。しかも主人
公の「ゲアトルーズ」がどうにもピーター・
オトゥールに見えて全く魅力的でなく、更
に見る気が失せ、普通だったらパスすると
ころなのだが、映画には不思議な魅力があ
り結局最後まで見ることとなった。

この映画、1964年制作とある。正直なと
ころよくこんな映画を当時作ったものだと思っ
た。画面に登場するのは、殆どがこの三人、
実際しゃべるのもこの三人で、しかもその喋
り方というのが、画面の正面を向いたまま棒
読みに近いもので、会話なのだが視線が混じ
ることはない。唯一交差するのは別れ告げる
とき。こんな全く不自然な会話が映画の八割
方を占めるのだ。ゲロゲロ少年がブレッソン
を更に削いだ映画とか言っていたが、これは
むしろストローブ=ユイレの世界だ。

時代そして舞台となる場所もどこだか分から
ない、がそんなことは全く関係ない。むしろ
どこでもないがどこでもあるというのが正解
だろう。そこで舞台上で繰り広げられる会話
劇と殆ど同じようなものが展開される。とな
ると、舞台でいいじゃないかという疑問がど
うしても浮かぶ。確かに、そう思われても致
し方ないように見える、が、やはりこれは映
画であった。例えば、固定されたと思ってい
たカメラが突然舐め回すわすように移動する
様は、まさに映画の醍醐味。無理やり切り取
られている画面は、それ自体虚構である証明
のようなものであるが、その上で画面上に出
現する世界は、「感動する物語」という枠を
飛び越えた、ある種の感動を与えてくれる。
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