ピカビア通信

アート、食べ物、音楽、映画、写真などについての雑記。

無用庇

2010年04月25日 | トマソン


「無用庇」或いは「純粋庇」、トマソンの代 表的なタイプだが、これも以前に比べると大分 少なくなってきた。その以前というのは、20 年ほど前の話で、その頃は謂わばトマソン一 次ブームで(尤も一次以降はあまり聞かない が)、それに乗じてこちらもいろいろ探索し たのだった。当時は街中にも結構存在してい てそれほど珍しくなかったが、今はもうそれ らの親となる建物そのものが消えてしまって いるので当然のこと「無用庇」も無くなって いる。隔世の感である。今また同じようなこ とをやって喜んでいる自分も、進歩がないと 言えば進歩がないのだが。 改めて「無用庇」の定義だが、本来庇という のは窓の雨除である。つまり窓があって初め て庇の機能を発揮するのだが、その窓が無く なると庇の構造物のみが取り残される。庇で あって庇でない状態となる。この状態が即ち、 無用、或いは純粋という言葉で修飾される物 の状態となるのだ。それを「無用庇」「純粋 庇」と呼ぶ。で、今回久しぶりにそれを発見 したのだ。しかも中途半端な形の。半分庇、 半分無用という珍しい形のものだ(写真)。 あった場所がこれまた殆ど人が通りそうにな い狭い路地。大体この手の物は、人目に触れ ないところにひっそりと存在しているのであ る。
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