ビオトープの水は、やっと落ち着いて透明度も回復した。臭いもせず澄んだ水溜りで、観察するには絶好のコンディションだ。ただ、入梅と言うことで、天気の方が気になる季節となってしまった。やらなくてはいけない別口の草刈もあるし、いろいろ天候に左右される作業が待っている。
ニュースでは、オリンピックの最終候補にレスリングが生き残ったことを大々的に報じている。この手のものを見るに付け思うのは、スポーツっていうのは、オリンピックのためだけにあるのかという根本的な疑問である。やってる側(選手と協会)は、一番権威がある大会で、より注目される為の手段としてメダル獲得ということになるのだが、客観的に見て、それぞれのスポーツが注目され普及される必要性はないと思うのだ(結果的に普及されたという分には何の文句はない)。原点は、自分が好きで始めて、結果的に一番上と思われる大会を目指すということだけだろう。協会としては、注目されれば権益も拡大し、いろんな旨みも生じるので野心を持つ。選手はスターになりたい。要するに、権威と金がほしいだけなのを、感動と言う美名で覆ってるのが今のスポーツ界なのだと。柔道の不祥事だって、権威をもった協会がやりたい放題でやった結果で、そこには柔道の精神などと言うのは全くない。レスリングだって、競技がすばらしいわけではなく、メダルを獲る事実それだけがほしいのだ。見る側がオリンピックを最高峰と思い、メダルに一喜一憂してる限りこの状況は変らない。いい加減、オリンピック症候群から脱してほしい。