ピカビア通信

アート、食べ物、音楽、映画、写真などについての雑記。

男性ヴォーカル

2007年11月12日 | 音楽


カフェのT君から、今度は好きな「男性ヴォーカル」を
という要望があった。
男性ヴォーカルの場合、声フェチの占める割合は女性ヴォー
カルほど大きくはないと思うが、それでも少しはそうい
う部分も出てくるのだろうか。

「まずは、チェットベイカーですね」(T君)
「やっぱりね」(私)
「あの脱力系ヴォーカルは癖になります」(T君)
「それは言える」(私)
「次は、ジム.モリソン、ロバート.ワイアットです」(T君)
「ドアーズ、ソフトマシーンか、でもT君、彼らは個人
というよりグループだから、今回はソロに限定しよう」(私)
「そうなると、ピーター.アイバースあたりですかね」(T君)
「これもちょっと脱力系だね、考えてみるとT君の場
合、女性ヴォーカルもそんな感じの軽いのが好きだか
ら、一貫してると言えば一貫してるね」(私)
「そうですね、キーワードは、軽い脱力系ってところ
ですかね」(T君)

「今度はこっちの番だけど、まずはブライアン.イーノ」(私)
「いいですね、しかし、イーノもちょっと僕の好みに
近い系ですよね」(T君)
「今の系の使い方、ちょっとおかしいんじゃないの系
だよ、それは置いといて、イーノだけど、曲も良いし
というより、元々一番好きだったミュージシャンだか
ら」(私)
「ヴォーカルというより環境音楽のイメージですから」(T君)
「もっと一般的なイメージの男性ヴォーカルでは、ジャ
クソン.ブラウン」(私)
「これまた意外な」(T君)
「ちょっとカントリー色が入って、イーノとは全く関
連ないけど、声も好きだし、昔から好きなんだよね、
自分にとっては箸休め的ヴォーカルかな」(私)
「フランス料理のあとの日本蕎麦、とか」(T君)
「というより、デュシャンのあとのゴーギャンに近い
かな」(私)
「もっと判り易く、ピカソのあとのモネで良いんじゃな
いですか」(T君)

「あと、その系統でジム.クローチ、ニルソン、レオン.
ラッセルなんかも好きだよ」(私)
「なんだか渋いところばかりですね」(T君)
「もう一人忘れてた、ジョージ.ハリスン」(私)
「ビートルズの」(T君)
「ソロになっても好きだったから」(私)
「全体的に、ハスキー系のような」(T君)
「ジョージ.ハリスン、ニルソンはそうだけど、残り二
人はちょっとだみ声系?」(私)
「ジム.クローチって名前だけで歌知らないんですよ
ね」(T君)
「なかなか良いんだよね、あの声が」(私)
「確か、悲劇的な死に方でしたよね」(T君)
「30歳かそこらで飛行機事故」(私)
「結構そういう人多いですね、アメリカは」(T君)
「ジョン.デンバーもそうだっけ、それとリトルフィート
のローウェル.ジョージとか、ああ、あれは薬中か」(私)
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青の稲妻

2007年11月11日 | 映画


一番気の毒な死に方と言っても良いのが、飛び降り自
殺の巻き添えだが、この前、確か池袋だと思ったが、
そこで巻き込まれた人が、結局死亡したということだ。
石が落ちてきたというのなら、偶発的な事故で済むが、
人の場合は落ちる人の意思(死のうとしている)が介
在しているだけに、巻き込まれた方としてはたまらな
い。
死ぬなら、一人で、と思ってしまう。
どうも、繁華街のビルから死ぬ人には、最後の場面だ
けは人に知らしめたい、という意志が働いているよう
に思える。
痕跡だけはこの世に残したいと。
最後だけは、自分の意思で演出したい。
そうでなければ、ひっそりと、どこか山の中の崖、或
いは橋から飛び降りれば良い訳だから。
死の固まりが空から降ってくる。
下界には、そんなこととは無関係な日常的風景。
そんな情景が浮かぶ。

話題を変えよう。
関東学院の監督の顔、どこかで見覚えがあると思って
いたが、はたと気付いた。
あのちょっとしょぼい顔は、ジャ.ジャンクーの「長江
哀歌」に出ていた、主人公の一人「サンミン」ではない
か。
ランニングシャツでも着ればばっちりだ。
中国に行っても、全く違和感無さそうである。
そんなサンミン監督でも、部員が大麻栽培していると
は、まさか思わないだろう。
普通、そんなところまで指導はできないから、運が悪
いのか、はたまた、学生の質が落ちたのか、いや、大
麻に関しては昔の方が、つまりヒッピー全盛のころの
方が凄かったはずだからそうとも言えない。
これもたまたまな事件なのだろうか。
覚せい剤より良いだろう、という話でもないし、何と
も言い様がない。
もし、学生の間に蔓延しているのなら、それはそれで
大きな問題だが、テレビゲームだって大麻と同じよう
なものだし、つまりゲーム脳の方が考え方によっては
問題だし、という意見も出そうだが、そのゲーム脳と
いうもの自体まず信じるにたる理論なのかというとこ
ろから始めないといけないし、兎角、世の中は問題だ
らけである。

上手くまとめたところで、先日届いたジャ.ジャンクー
の「青の稲妻」だが、早速観賞した。
スクラップアンドビルドの現場が今の中国、そんな埃っ
ぽい風景が今回も中心である。
近代化されるハードの中に登場する人間が、どうにも
一昔前のダサダサ人間なのだが、それがまた、どうい
うわけか近未来的な世界の住人のように感じられる。
他の作品全てに共通するのだが、確かに日本で言えば
戦後間もなくの頃の世界のはずが、今を通り越して、
というより、生きている実感をもてない、現代を生き
る人間そのものの普遍的な世界を描いている、ように
感じられる。
近未来的と感じるのも、荒涼とした風景が、漠然と感
じている未来に対する不安を具現化したものそのもの
だからではないか。
などと考えられなくもない。
このように、もって回った言い回しが可能なのも、ジャ.
ジャンクーの映画の魅力の一つで、同時に、解り難
さの証明でもあるのだ。
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プラットホーム

2007年11月10日 | 映画


スノッブなM氏に貸した、ジャ.ジャンクーの「プラット
ホーム」のDVDが返ってきた。
「で、どうだった」と聞くと「だめだ、寝ちゃった」と
言った。
この点に関しては、貸すときに念を押したのだが、や
はりそうなったか。
「最近、メルブルックスなんかのお気楽映画しか見てな
かったからこういう映画はきついは」とわけの分からな
い事を言っていたが、M氏も歳とともに、スノッブ振
りもきつくなってきて、自分に正直になってきたのか
もね(ここはペダンチック振りと言ったほうが良いか
もしれない)。
以前だったら、無理してでも「なかなか良かった」な
どと言ったものだが。
歳をとるとはこういうことか。

同時にたのんだ、結果時間差配送となったもう一つの
「青の稲妻」は、一ヶ月以上遅れて昨日ついた。
お楽しみだ。
メーカーが新たに製造した様子だが、長い事欠品で、
アマゾンなんかで検索したら、中古で「青の稲妻」は
一万円近くの値がついていた。
全く、足元を見た値付けだ。
尤も、価格のメカニズムというのは、需要と供給で決
まるわけだから、それが働いたに過ぎないと言えば言
えるのだが。
まあ、いずれにしろこれで適正価格に戻るわけだ。
もし、あの値段で買った人がいたら歯軋りものだが、
他人事なので、今回は待ってて良かった、ということ
だ。

話は戻るが、「プラットホーム」のDVDは、今度は
更科の主人に行くことになっている。
スノッブなM氏より、更級の主人の方が大丈夫なよう
な気がするが、さてどうなるか、それもお楽しみであ
る。
プラットホームが次から次と移動する。
内容に関しては、一応言及しておいたので、戸惑う事
はないと思う。
M氏の場合、結局途中で放棄だったが、それは無いだ
ろう、とここまで言われれば、絶対最後まで見ないわ
けにはいかない。
何故ならば、これを読んでいるはずだから。
と、ひとまずプレッシャーを。
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池田満寿夫美術館2

2007年11月09日 | 芸術


時期的には紅葉シーズンということで、小布施は平日
にも拘らず結構な観光客がいる。
最初店に入った時は、一組だけだったが、その後次か
ら次と客が入り、結局満席となった。
構成は、おばさん80パーセント。
どこに行っても、おばさんパワーを見せ付けられる結
果となる。

こちらは3人だったので、店の人にそれを告げて席に
着いたのだが、何故か、待ってたかのように四人席に
三人分のセットをしてあった。
予約をした覚えはないが。
ひょっとして予約客と間違えてるんじゃないの、ちょ
うどこちらも三人だから、などと話しながら、向こう
が案内したので座った。
しかし、テラス席のほうが気持ち良さそうだったので
そちらに移動した。
その後、最初のテーブルはどうなったかというと、予
想通り三人のグループが来て座った。
やっぱりね、と頷いた。
店のお兄さん、真面目そうなのだが、今ひとつ要領が
悪そうで、混雑してきたら大変そうだと他人事ながら
気になった。

ランチメニューは、蕎麦のガレット三種とキッシュの
みである。
それらを全部頼んだ。
ガレットは、「紅鱒の燻製」「生ハム」「鶏のコンフィ」
で、キッシュはオーソドックスにロレーヌ風。
ガレットは専用の器具で焼いたもので、ちゃんと本場
風のできで美味い。
鶏はどこがコンフィなのか今ひとつ不明だったが。
野菜などもたっぷりの具沢山で、結構食べ応えがあり、
キッシュも普通に美味く、結果お腹は一杯となった。
シードルとエスプレッソまで飲み、ランチとしては充分
満足感のあるものだった。
小布施辺りだと、こういう店も商売になるんだな(どう
見てもガレットなど知らなさそうな人達がお客だったか
ら)、と感心しながらの暫しのランチタイムであった。
店名(ヴァンヴェール)の緑風(vent vert)を感じた
ひと時、ってか。
尤も、今は紅葉シーズンだから紅風(vent rouge)か。

我々が出た時には、殆どの客は帰ったあと。
結局2時間近くいたことになる。
飲み物を追加したからと言って、それほど複雑な会計
でも無さそうだが、例のお兄さんのレジは手間取った。
これも予想通りといえば予想通り。
お兄さんに「未だ緑風吹かず」か。

店をあとにし、帰りは、最近流行というかETC特権
ともいえる、パーキングから直接高速に出入りできる
という「小布施パーキング」に向かう。
そして、そこの道の駅で、地元産の「ラ.フランス」
(洋ナシ4個で300円)何ぞを買い、高速に乗って
帰路に着いた。
諏訪インター近くから見る八ヶ岳は、「マグリット」の
山の絵のように、西日に照らされ鷹が飛びたつようで
あった。
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池田満寿夫美術館

2007年11月08日 | 芸術


松代という、嘗て大本営の地下壕が築かれた町にある
「池田満寿夫美術館」に行ってきた。
しかし、「池田満寿夫」に特別関心があるという訳では
なく、松代も(同じ長野県でも行った事がないところ
のほうが断然多い、未だに上高地すら行った事がない)
何か機会がなければまず行く事もない所なのだが、た
またま行く人がいて、誘われ、その何かの機会が訪れ
たわけで、同行するということになった次第だ。

高速で、一時間ほどで着くのだが、感覚的には東京よ
り遠いと思うのは、それだけ接点がないということ。
長野県は北信、中信、南信と分けるが、本当にそれぞ
れの文化的交流というのはない。
今はあまりないのだろうが、嘗ては対抗心が相当あっ
たようだ。
それで、「県歌」などを作って、どうにかまとめ、一
体感を持たせようなどとしたのではないだろうか。
アメリカ国歌で急に皆まとまるのと同じ効果を狙って。

そんな、北信にある松代だが、ところどころ昔の面影
が残って、どうにも鄙びたところで、なかなか味があ
る町だ。
特に駅舎は、物凄く古びていて、建築的価値とかはな
いと思うが、その古さにちょっと感動する。
その駅から直ぐのところに「池田満寿夫」美術館はあ
る。
どうやら栗菓子メーカーの資本の美術館らしく、同じ
敷地にその店舗もある。
展示作品は、学生時代の頃の物から、最後の焼き物ま
で、時代別に網羅されている。
個人的には「ヴェネチアビエンナーレ」のころの作品
が好みである。
デュシャン風、ピカソ風、マチス風、ウォーホル風、と
いろいろ変化するのを見て、その変遷を感じる事がで
きるのが、こういう個人美術館の良さだろうか。

ざっと見終わって、我々は小布施に向かった。
小布施というのは、北斎縁の地で、有名な「北斎館」な
どがあるところ。
しかし、それを観にいったわけではなく、昼飯を小布
施で食べようというそれだけの理由で向かったのだ。
小布施というのも初めてのところだ。
松代から、30分ほどで到着。
「Vent Vert」という店に、「蕎麦粉のガレット」
を食べるために入った。
予め、調べ、良さそうだったのだ。

つづく
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蕎麦の謎

2007年11月06日 | 食べ物


先日行った蕎麦屋の蕎麦が、どうにも納得いかない蕎
麦だったことに関して、ある筋から、重要な情報がも
たらされた。
と、大袈裟に言うほどのことでは勿論ないのだが、な
ぜひどい蕎麦だったかということが良く解る、その内
容だった。
情報によると、その蕎麦屋では、製麺所の蕎麦を仕入
れているらしい。
とすると、当然機械打ちの蕎麦だし、蕎麦粉もどこの
蕎麦粉か判らない。
こちらの感想、乾麺のような感触、エッジのない断面、
蕎麦の香りのしない蕎麦、全てが納得ということにな
る。
その蕎麦屋は、手打ちと仕入れた蕎麦を使い分けてい
る、という話もあるが、確証はない。
しかし、客は入っている。

まあ、原因はともあれ、蕎麦としてひどいことには変
わりないから、いかなければ良いだけの話だ。
それにしても今回も感じた事だが、食べ物屋というの
は、ある質を保つためには適正規模というものがある
とつくづく思う。
打ち手が一人だったら、それこそ20人くらいが適正
規模だろう。
これは蕎麦屋に限らずの話で、フランス料理だって、
本当に良い店というのは、そのくらいの規模ではない
だろうか。
責任ある作り手の目が行き届く範囲。
店が大きくなって、内容が良くなったという話は聞い
た事がない。
逆に、味が落ちたと言う話は五万とある。
もうこれは、絶対的な法則と言っても良いのではない
か。
店の大きさに比例して味は落ちる、という法則。
これを「店堕落の法則」と名付けたい。

但し、この法則には、注が入る。
客の入りには影響しないと。
それは今回の「赤福」問題などを見ても明らかな事で、
味がどうのは関係ないことだから。
よほどひどい味だと流石に関係するが、レベル的には
大して美味くはない、というレベルで充分だ。
名物に美味いものなし、というのはその辺の事を良く
表わしている言葉ではないか。
売れるためには味よりは名前、ブランドなのだ。
有名店に美味いものなし(今作ったが)、というのも
ある意味間違いでは無さそうだ、もう一つついでに、有
名人が通う店に美味いものなしというのもある。
一番残念なことは、この傾向がどんどん強くなっている
ということなのだ。
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女性ヴォーカル2

2007年11月05日 | 音楽


昨日の続き。

「でも、本当に好きなのは軽い感じの、ヴォーカルな
んです」(T君)
「ジャニスは対極でしょ」(私)
「ええ、だから良いとは思うんですけど、好きなとい
う点からするとちょっと違うんですよ」(T君)
「そうなると、やはりT君の声フェチ部分が大きく関
わってくるという事だね」(私)
「そいうことになりますかね」(T君)
「そういうことでしょ」(私)

「じゃあ、クローディヌ.ロンジェは当然入るね」(私)
「あとはエイプリル.マーチ、フランソワ.アルディ
などのフレンチポップス系ですね」(T君)
「その4月3月っていうふざけた名前の歌手全然知ら
ないけど、誰」(私)
「ああ、エイプリル.マーチですか、アメリカ人なん
ですがフレンチポップ系の歌を歌うんですよ」(T君)
「ふーん、それだったらアブリル.マルスとか言えば
良いのにね、或いは日本語でシガツ.ミズキと読ませ
るとかね」(私)

「こんな話しているとこっちも思い出したよ、忘れか
けた好きな女性ヴォーカルを」(私)
「誰ですか」(T君)
「キキ.ディーとベロニク.サンソン」(私)
「聞いたことないですね」(T君)
「キキ.ド.モンパルナスではないよ、キキ.ディー」(私)
「ええ、強調しなくても分かってますから」(T君)
「なんだか今は幻の歌手に近いのかもね、でもなかなか
良いんだけどね、あとベロニク.シャンソンは、これも
多分知る人ぞ知るの部類なのかと思うけど、良いと思っ
た、かつてテープで聴いていてそのテープが駄目になっ
てからは幻の歌手的存在になってしまったけどね、個
人的には、兎に角この二人はもう一度聴きたいと思う」(私)
「いろいろ出てきますね、ほじくり返すと」(T君)
「眠った記憶を呼び覚ます、ってか」(私)
「お得意の、脳の活性化ですか」(T君)
「単なる思い出話も、そう言えばなんとなくポジティブ
な印象になるでしょう」(私)
「言葉一つで印象も変わると」(T君)
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女性ボーカル

2007年11月04日 | 音楽


一昨日の続き。

Sちゃんは用があり、先に退席。
話題は、また音楽について。

「この前借りた、クローディヌ.ロンジェ、ビートルズ
の曲歌ってたね」(私)
「いろいろヒット曲取り上げてますから」(T君)
「good day sunshineなんてちょっと珍しいけど、し
かし軽い歌い方で、まったりカフェでかけると合いそう
な感じだね」(私)
「ボサノバ調もありますし」(T君)
「それより、スノッブなM氏にこの歌手の名前を知って
るかどうか聞いたら、ああボンドガールの、とか言って
たから、その時はそうなんだと思って、後で確認すると
それはクローディヌ.オージェのことだったんだよね」(私)
「確かに紛らわしいですよね」(T君)
「もっと発見は、クローディヌ.ロンジェって、アンディー.
ウィリアムズの元奥さんだったってことだね」(私)
「えっ、本当ですか?ところでアンディー.ウィリアムズ
って誰ですか?」(T君)

これも隔世の感、という表現がぴったりの状況だ。

「それで、T君は女性ボーカルでは誰が好きなの?」(私)
「ジャニス.ジョプリンは好きですよ」(T君)
「良いよね、ジミヘンとジャニス、この組み合わせで好
きな人は多いんじゃないかな」(私)
「あれだけ個性的なボーカルは、その後出てきてない
ですよ」(T君)
「これも時代の産物かな、あとは?」(私)
「そうですね...」(T君)
「ケイト.ブッシュとかは?」(私)
「特別...」(T君)
「じゃあ、クリッシー.ハイドは?」(私)
「ザ.プリテンダーズの」(T君)
「そう」(私)
「特別...」(T君)
「あと、エミルー.ハリスなんかは?」(私)
「誰ですかそれ」(T君)
「カントリー系の」(私)
「今あげたの、全部○○さんの好きなボーカルなんじゃ
ないですか?」(T君)
「ばれたか、実はそうなのよ、ついでにクリスタル.ゲイ
ルなんてのも」(私)
「それにしても、一体どういう基準ですか」(T君)
「ケイト.ブッシュに関しては曲そのものだけど、あとは
声質が好きなんだね」(私)
「ふーん」(T君)
「T君だって、ヘレン.メリルが良いとか言ってなかった
っけ?」(私)
「ええ」(T君)
「あのハスキーヴォイスが良いんだろ」(私)
「そうです」(T君)
「そんな、ちょっとした声質で好きになったりするんだ
よね、勿論、歌い方とか曲あってのことだけど」(私)
「考えてみると、ヴォーカルって、自分の声フェチ要
素によって好きか嫌いかが決定されてる、って感じで
すよね」(T君)
「そんなとこかも」(私)
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日本賞

2007年11月03日 | Weblog


ドキュメンタリー作品に与える賞で、世界が対象のNHK
主催の「日本賞」、存在は知っていたが具体的にはあ
まりというところで、その選考の模様のドキュメンタリー
を見た。
ドキュメンタリーを選ぶドキュメンタリー。
別に面白くないか。

番組は、選考委員の、最終的には多数決で決めるのだ
が、そこに至るまでの意見の対立、議論に焦点を当て
ていた。
そして、最後に「日本賞」を決める。
候補は2作品に絞られた。
一つは、自閉症の息子を母親が撮った作品。
「アスペルガー症候群」という、コミュニケーション
能力が劣るが、あるものに対する能力が秀でていると
いう特徴がある病気、の息子、その彼が周りの人間と
上手くやっていけず孤立する様子を、ありのまま撮っ
ていた。
自分の息子の置かれている、いたたまれない状況をよ
く撮れるものだと、別の意味で感心した。

もう一つは、差別をテーマにした作品(前の作品も
その要素はある)。
学校の授業で、クラスを無理やり二つのグループに分
ける。
それは背の高さ。
生徒には、尤もらしい理屈をつけ、その正当性を信じ
込ませる。
最初は、背の高い方を能力的に劣っていると言って。
すると、何かあるごとに、その理由を、背が高いイコール
劣っているからということに結ぶ付けて、差別が始ま
る。
卑近な例では、血液型なんかこれに近いかも。
背の高いグループは、言われなき差別を受ける。
そして翌日、今度は背の低いグループが実は劣ってい
る、と昨日の理論は間違っていたと言って訂正する。
すると、昨日とは全く立場が逆転して、同じ事が起こ
る。
という実験のドキュメンタリーであった。
両方の立場になって、初めて知る差別の構造、という
ことだが、昔から有名な実験らしく、今は問題があっ
てやらないらしい。
ちょっと劇的で、あざといとも思われる作品で、解り
易いと言えば解り易いのだが、ちょっとどうかなとは
思った。
アメリカの委員が「人間はどちらかの立場だ」と言っ
たのが特にひっかかった。
それをいうなら「人間はそのどちらでもある」だろう。

結局、「日本賞」は自閉症の方に決まった。
この辺を、予定調和的と見るか。
番組を見ていた人は、「自閉症」の方に行ってほしい
と見ていたのではないだろうか。
ドキュメンタリーの難しいところは、ありのままとは
言っても、撮られる方が演じる事もあるし、撮る方の
恣意も入るし、結局見る側が全てを考慮して判断しな
いといけないところ。
うーん、尤もらしかったか。

訂正)
日本賞は、学校の授業の方でした。
完全な勘違い。
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素朴な疑問

2007年11月02日 | Weblog


カフェのT君は、一泊で那須に行って来たらしい。
何故那須?という素朴な疑問が浮かぶが、前々から誘
われていて、とうとう観念したというのが真相のよう
だ。
地元が高原地帯なのだから、同じような高原地帯に対
して、高原フェチ以外は、普通、魅力は感じない。
T君も高原フェチではなったから、なんだかこの辺と
同じようなところでした、といった極めて当たり前の
感想を述べていた。
そんなところに、T君の中学時代だかの同級生、Sちゃ
んが来た。

「久しぶりです」(Sちゃん)
「なんか色々大変だったらしいね、もう大丈夫なの?」(私)

Sちゃんは竹久夢二的生活を余儀なくされていた。
過去のものだと思っている人も多いと思うが、結構今
でもあるらしく、しかも見逃されがちだという。

「夢二の高原病院?」(私)
「いや、今は違うんですよ」(Sちゃん)
「まあ、兎に角休養するだけだから、暇でしょう」(私)
「ええ、やる事なくて退屈で退屈で」(Sちゃん)
「でも、同じような人がいるから、一種のサークル活動
と思えば」(私)

他人事で、適当な事ばかり言っていたが、いつしか話
題は偽装表示のことになった。

「もうショックですよ」(Sちゃん)
「なんで?」(私)
「赤福信じていたのに」(Sちゃん)
「うそっ、本当にそういう人いるんだね、テレビには
必ずそういう役割の人出てくるけど、店の前で、ええー
嘘でしょ、という人は」(私)
「好きだったんです」(Sちゃん)
「期限切れでも、美味しいと思ってたんだから良いじゃ
ない、それに、あれだけ大きくなったら、起こる確率
はかなり高いよ、他の状況を見てみれば判るでしょ、
当たり前と言えば当たり前のことだよ」(私)
「そういうものですかね」(Sちゃん)

ここで、T君も加わる。

「本当、今の消費者は情報に左右されるから駄目なん
ですよね、あの手の食べ物にまともなものがあるわけ
ないのに」(T君)
「その通り」(私)
「名前だけでしょう、選ぶための判断は」(T君)
「まあ、そうなんだけど」(Sちゃん)

と、二人に言われて、病み上がりにも拘らず散々なS
ちゃんであったが、これも一種の啓蒙だから。

「吉兆までやるとは」(Sちゃん)
「ああ、あれもやはり大きくしすぎたんだよね、嵐山だ
けでやってれば問題ないのに、実際良い店だしね、デパ
ートなんかに進出するから」(私)
「良く知ってますね」(Sちゃん)
「嵐山はよく行ったから、うそうそ、行った人の話を聞
いての受け売り、でもこれは言えるよ、デパートに進出
する店に良い店なし」(私)
「ええー、そうですか」(Sちゃん)
「ちょっと極端だったか、まあそのくらいの方がインパ
クトあって話としては面白いでしょ」(私)
「私、デパ地下好きですよ」(Sちゃん)
「いろんな店があって、一種のワンダーランドだけど、
それって雰囲気にやられているからだよ、一つ一つ検証
していくと、本当に美味いものなんてあまりないよ、名
前は有名だけど」(私)
「これも、赤福と同じですよね、名前で美味いと思っちゃ
うという」(T君)
「チーズ専門店とかそういう店は良いけどね、料亭レス
トラン関係は駄目でしょ」(私)
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新そば

2007年11月01日 | 食べ物


シーズンもあと僅か、何のシーズンかというと自転車。
そろそろ寒さも本格的になり、とても自転車に乗る気
分ではなくなるので、今のうちという感じなのだ。
本格派は、ぴちぴちウェアーに身を包み、冬でも平気
で乗っているが、軟弱派はそんな真似は絶対出来ない
し、やる気もない。

多分、今年最後のロードレーサーに乗って、割りにこ
の時期にしては寒くはない中、たまにはいつもの「更
級」ではない蕎麦屋でも行ってみるかという気になり、
コースの中間にある、田んぼの中の蕎麦屋によること
にした。
ここは、店舗を大きくして(個室なども作り)、結構
観光客地元の客が来るところで、比較的値段も安く、
味も、行く度にばらつきがあるがまあまあな蕎麦屋だ。
正確には、だった、か。
確か、去年一回来たか、はたまたおととしだったか、
定かではない。
兎に角、久しぶりのここでの蕎麦だ。
時間は、1時半頃であったが、結構客はいた。
「もり蕎麦」の大盛りを頼む。
ここの特徴は、何故か薬味に(正確には薬味ではないが)
鶉の卵(割った生)が一個付いてくること。
他は、オーソドックスに葱、わさび、あと大根おろし
である。
しかも、いずれもかなりの少量。
全く薬味を使わない身からするとノープロブレムなの
だが、絶対「少ない」と文句を言うやつはいると思う。
そのくらい少ないのだ。
それは良いが、鶉の卵に関しては、全く不必要だ。
「納豆に生卵」も許せないのに、蕎麦に生卵(鶉だが)
なんて、噴飯ものだ。
と、大袈裟に言うほどのことでもなく、使わなければ
良いだけのことだ。
しかし、捨てられる運命の鶉は、単純にもったいない
と思う。

さて、主役の蕎麦だが、持ってこられた時点で、うん?
と疑念が生じた。
見た目で、これは行けそうだと行けなさそうというの
は、ある程度判るものなのだ。
水のはじき具合とかの艶なのか、まあ長年培った勘と
でも言おうか、そんなものだ。
食べてみると、案の定、典型的な出来の良くない蕎麦
であった。
乾麺のようなこしで、つまり、はじくような弾力性が
なく、しかも、乾麺のようなエッジのなさ。
駄目な時は、駄目駄目なもので、蕎麦自体の香りがこ
れまた良くない。
勝手に新そばだと思っていたが、新そばではない。
大体、蕎麦自体、国内産かどうかも怪しい。
こんな蕎麦にも関わらず、隣のおばさん二人は、天ぷ
らそばなどを食べ、「わざわざ来た甲斐があったわね」
などと満足そうな会話を交わしていた。
どうなってるんだ、その味覚は。
そして更に駄目の追い討ち。
値段も、前より上がっていて、そば専門店の標準になっ
ていた。
当然のこと、もう絶対来ないと心の中で呟き、店を出
ることとなった。
コメント