ピカビア通信

アート、食べ物、音楽、映画、写真などについての雑記。

ギル.エヴァンス

2008年02月11日 | 芸術


マイナス10度が、どうやら窓ガラスに氷の結晶がで
きるかどうかの境目のようだ。
ということで、本日もマイナス10度を下回った。
ピークはとうに超えたというこちらの読みは、大きく
外れてしまった。
完全に真冬真っ只中である。
湖の 氷は解けず まだ寒し byニイタカヤマノボル。

T君話の続きだが、東京で結局五枚ほどのCDを買っ
てきたそうだ。
その内の二枚を借りてきた。
一枚は、「ホルガー.シューカイ」。
よほどのプログレ好きしか知らないと思うミュージシャン
だが(こちらも最近知った)、「can」というグルー
プの元メンバーで、そのソロアルバム。
マニア向け中古レコード屋じゃないと、まず発見でき
ないと思われるCDだ。
聞くのを忘れたが、多分下北沢の店だろう。

そしてもう一枚は、何故か「ギル.エヴァンス」。
「ビル.エヴァンス」ではなく「ギル.エヴァンス」。
ジャズのアレンジャーとして有名だが、個人的には、マ
イルスの「スケッチ.オブ.スペイン」というアルバ
ムで知っているだけだ。
そう言えば、以前、ギル.エヴァンスの何とかというCD
アマゾンに無いですかと聞かれたことがあった。
マイルスだったらまだしも、ギル.エヴァンスに関し
ては殆ど知識ないし、じゃあちょっと調べてみるとい
うことになって、結局その時は見当たらないという結
果になって残念でした、であった。
どうやら、そのお望みのCDだったようだ。
これは、下北沢ではなく、中央線沿線のどこかの中古
屋であろう。
特に荻窪、高円寺辺りが臭い。
まあ、そんなことはどうでも良い。
それより、お目当てのCDを発見できて喜ばしいのだ
が、一体何がT君を惹きつけたのか、それを知りたか
った。

本当は、最初に調べた時に聞いていたのだが、それは
ある曲が入ったアルバムということであった。
そのある曲が何であったか、完全に忘れていたのだ。
そこで、今回のCDに入っている曲を、一つ一つ確認
してみた。
サックスは「フィル.ウッズ」と「ウェイン.ショーター」
かふむふむ、他にも「サド.ジョーンズ」「ポール.チェ
ンバース」とか有名どころがごろごろいるぞ、という
のは今回関係なかった。
曲曲。
それは直ぐにみつかった。
タイトルを見た瞬間思い出した。
「ラスベガスタンゴ」という曲だ。
当時、「ラストタンゴ.イン.パリ」だったら知って
いるが、などと言った記憶も蘇ってきた。
これこれ。

そして、改めてその「ラスベガスタンゴ」を聴いてみ
る。
それは、確かに他の曲に比べて印象深い曲であった。
というか、最初にざっと聞いたときに耳に残ったのが
偶然にもこの曲であった。
ということは、プログレ好きの感性に訴える何かがこ
の曲にあるのか。
今度、T君にこの曲の謂れを聞いてみないと。
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キュジーヌ.コンテンポラリー2

2008年02月10日 | 食べ物


T君と「キュジーヌ.コンテンポラリー」がどうのと話
をしているが、どちらもそのものを経験しているわけ
ではなく、多くは想像で話しているに過ぎない。
だから、味がどうのこうのも全て想像上なので、本当
のところは分からないのだ。

「格好つけた店は苦手なんですよね」(T君)
「店内に緊張感が漲ってるような」(私)
「そうです」(T君)
「ところでT君、そういった店に行ったことあるの?」(私)
「いや、無いんですけど」(T君)
「じゃあ一回くらいは、行っても良いんじゃないの」(私)
「そうなんですけど、高いんですよね」(T君)
「確かに、昔だったら好奇心が勝ってたからこちらも
行く気にはなったけど今はね、でもT君、ビストロ料
理と比較するためにも一回くらいは」(私)
「ところが、優先順位からするとまずCDですから僕
の場合」(T君)
「去年の忘年会でしょぼいところで七八千円使ったこ
とを思えば、そういう店のディナーは無理として、ラ
ンチだったら充分いけるんだから」(私)
「それは言えますね」(T君)
「少なくとも、忘年会よりは得るものがありそう」(私)
「そんな感じはしますけど、しょうもないことで使っ
ちゃうのが現実なんですよね」(T君)

「自分の場合も<キュジーヌ.コンテンポラリー>なん
てもう無縁なんだけど、ほら、なんだかんだ言っても
過去それなりに経験があるから、ある程度想像がつく
し、まあ適当に言ってる部分も多いけど、それなりに
説得力はあるでしょ」(私)
「そうなんですよ、なんか尤もらしいですもん」(T君)
「他人の尤もらしい言説には疑問を持ち、自分の言説
にはスルー、これだね」(私)

「それより<キュジーヌ.コンテンポラリー>って誰
が言い出したんだ、本当にそんなこと言ってるのか
ね」(私)
「どうせどこかの雑誌が言い出したんじゃないですか」(T君)
「<ヌーベルキュジーヌ>はすでに古典で、今や<キュ
ジーヌ.コンテンポラリー>か、モダンアートからコン
テンポラリーアートと本当同じような変化の仕方だけ
ど、アートのように表現様式ががらっと変わるもので
はないから食べ物は、基本の食べられる物であると
いうことは絶対的だからね」(私)
「便器を持ってきて作品というわけにはいきません
よね」(T君)
「食べ物に関しては、保守的な部分というのは絶対的
なベースだよね」(私)
「基本保守的と」(T君)
「でも、どこかの店で<土>を食材として新しい料理
なんてやってたけど、あれはひょっとして<ダダ>な
のか、いや、あそこまで行くとやりすぎて崖から落ち
たと言うべきだろう」(私)
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キュジーヌ.コンテンポラリー

2008年02月09日 | 食べ物


T君が、この前のNHK見ました?と聞く。
何かと言うと、ミシュラン東京版で三ツ星を取った30代
シェフの話だ。
ちょっと見てたので、半分見たと言った。
で、どうですか?と聞く。

「最近の流行の、というより先端のと言った方が良い
のか、そういう料理なんだと思うけど、問題は美味い
かどうかだよね」(私)
「僕はあまり好きじゃないです、ああいう料理は」(T君)
「大皿に、ぽつんときれいに盛り、その大皿も楕円を更
に歪ませたようなものなんだよね、そしてソースはジャ
クソン.ポロックのように」(私)
「キュジーヌ.コンテンポラリーとか言うらしいです
ね」(T君)
「ますます、ジャクソン.ポロックが正しいということ
だ、しかも、今はソースを使わないというのもある」(私)
「ということは、松澤宥の世界ですか」(T君)
「作品そのものが消滅する、なわけないよ、飽くまで
もソースが無いだけで、食べる素材はあるわけだから、
むしろ素材だけを提示するという点ではデュシャンが
近いのでは」(私)
「それだと、時間が戻ります」(T君)
「そうそう、新しい料理だった、それにポロックまで
は確かにその影響があるとはいえるけど、流石にデュ
シャンはねえ」(私)

「でも、見た目に関してはそういう影響はあるんでしょ
うが、別に観賞するわけじゃないですからね」(T君)
「味が新しいかどうかが重要ということだね」(私)
「何かいろんな組み合わせを考えてましたね」(T君)
「番組の肝はそこだよね」(私)
「番組的には、天才がぱっと思いつく降臨した瞬間を
大袈裟に撮りたいんでしょうが」(T君)
「それにしても最近は、天才の大安売りだ」(私)
「結局、試行錯誤して生み出すということだったです
ね」(T君)
「天才ではなく、職人の世界だったと」(私)

「それより僕が気になったのは、伝統料理がいつまで
も美味いものでは進歩が無い、というような意味のこ
とを言ったところ」(T君)
「まあ、あのシェフの方向はそういうことなんだろう
が、食べ物に関しては、伝統料理であろうが無かろう
が美味いものは美味いだから」(私)
「そうですよね」(T君)
「個人的には、新しい料理、例えばきれいな直方体の
ケーキのような料理より、どかんと盛った煮込み料理
に代表されるビストロ料理が好きだけど」(私)
「僕もです」(T君)
「まあ、その時代時代の味は、そういう先端と言われ
る料理がフィードバックされ変化していくのだと思う
けど、料理に芸術は求めないからね」(私)
「素朴に美味い、これですよね」(T君)
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下北沢

2008年02月08日 | Weblog


この前、下北沢にライヴを聴くために東京へ行ったT君
にその時の様子を聞いた。
時間調整のために、下北でカフェに二つも入ったなど
と言ったので、どこに入ったのか聞くと、何とかシャンブル
と言う。
ひょっとして「Trois chambres」?と聞くと、そうだ
と答えた。
まだあったのか。
嘗て何回か行ったことがるので非常に懐かしい。
変化の激しい下北辺りで、ずっと存在していたのだ。
それより、その店の名前がすっとでたことが自分でも
不思議だ。
それほど愛着があったわけでもないし、何故だろう。
確か、ヨーロッパの田舎の家のような雰囲気のところ
だった。
開店した頃に、何回か行ったわけだが、当時はそうい
う造りそのものがお洒落な感じだったが、年月を経る
と、本物らしくなって重厚感も増すだろうから、それ
なりの魅力も出て支持され続けているということか。
同じような感じでもう一軒「cafe de parfums」(と言
ったと思ったが)というカフェがあったが、あれもあ
るのか。
何故か、下北沢と言うと、喫茶店ばかりを思い出す。

T君は中古レコード屋に行くと言っていたので、もし
シドバレットのCDがあったら買って来てと頼んだのだ
が、結局あるにはあったが全然安くないので買ってこ
なかったと言った。
それは仕方ない。
それより、「疲れましたわ」とT君は言った。
そういう、中古や巡りは、思わぬ出会いがありそれが
一番の醍醐味でもあるのだが、T君も徐々に歩き回る
こと自体が疲れると感じ始めたようだ。
そうなってくるんだね、これが。
これも、自然の流れと言うものだ。

そして「ガレット同好会」(今作ったが)として忘れ
てはならない、「ガレット」に関して聞くと、帰る前
に寄ったということだった。
新宿の高島屋に、「ル.ブルターニュ」の支店がある
という情報を事前に入手し、T君は行ってみると言っ
ていたのだ。
表参道と神楽坂にあるのだが、ちょっと遠いのと、店
もあまり大きくないのとで使い勝手があまり良くない。
だから、新宿にあるんだったらそれは都合が良いとい
うことになっていたのだ。
T君によると、メニューは殆ど本店と同じらしく、値
段的にも変わらないらしい。
デパートの中だから安めかと思ったが。
基本の、チーズとハムのガレットでも食べたのかと思っ
たら、なにやらトマトの入ったガレットを食べたとい
うことだった。
それを聞いて、あまり水気の多いものは合いそうにな
いのだが、と思った。
案の定、そうだったしい。
選択ミスを盛んに後悔するT君であった。
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ナポリピザ

2008年02月07日 | 食べ物


久しぶりに「フォルマッジョ」。
本格的な「ナポリピザ」が食べたくなったのだ。
この時期、店の周囲は完全に雪で真っ白。
雪が無くても、こんなところに店があるのかと思うく
らいのところ。
その気配が、更に濃縮される。
店を中心に半径100メートルは、まるで北海道のよ
うだ。
最近、薪ストーブにして北海道色も増し、雰囲気的に
も今が一番かもしれない。

今日はACミランのユニフォームは来てなかったが、
シェフに迎えられ店内に。
と言っても、薪ストーブを導入したせいで、テーブル
一つ分少なくなって、唯でさえ3テーブルと少なかっ
た店内が、2テーブルとなってしまっていた。
BGMはいつものジャズではなく、オペラというより
オペレッタ、のようなものがかかっていた。
薪ストーブの柔らかい熱を感じながらの「ナポリピザ」、
なかなか役者は揃っている。

今日は「マルゲリータ」がある。
普通、ピザを売り物にしているところは、「マルゲリータ」
は定番で、一番基本的なピザであるのだが、ここは去
年から「マルゲリータ」は水牛のモッツァレラが入っ
た時しかやらないという方針を打ち出した。
そこまでこだわらなくても、と思ったが、そういうこ
とらしい。
個人的には、具は少ない方が好きなので、「マルゲリ
ータ」が無い時は選択肢が無くなってしまう。
まあ、今回は幸いにも水牛のモッツァレラがあって良
かった良かったである。
よく、チェーン店でナポリタイプのピザとか見かける
が、はっきり言って違う。
そっち方面ではあるが、ナポリには到達していないの
だ、それらは。
まず、根本的に粉が違う。
勿論、他の発酵の仕方捏ねかた焼き方全てが違うのは
言うまでもない。

で、久しぶりの「マルゲリータ」は、発酵具合もちょ
うどのかなり良い出来の「マルゲリータ」だった。
そして改めて水牛のモッツァレラを味わうと、今まで
はあまり感じなかったのだが、というのは、モッツァレラ
の印象は味が無いだったので、それが大分違っていた。
水牛の本物はこくもあり、香りも乳臭く、美味い。
シェフのこだわっていた味はこういうことかと、遅れ
ばせながら納得した。
これからは、「マルゲリータ」は水牛のモッツァレラ
に限るね、だ。
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スリップ

2008年02月05日 | Weblog


昨日の最低気温はマイナス16.3度ということだった。
ウェザーニュースでは、確かにマイナス11度ほどだっ
たのだが、あれは間違いか。
どちらにしろ、寒かったということだが、この冬の最
低記録を予想に反して更新したことが残念である。
しかし、この寒さだと、道路の雪も中々溶けずにアイ
スバーン状態になる。
スリップ事故も多く、JAFも大忙しのようだ。

それで、過去自分で経験したスリップ体験を思い返し
てみると、スリップして半回転して側溝にはまったの
が一回。
単独事故だが、タイヤが側溝から出せなくて通りがか
りの車に牽引してもらった。
しかも、タイヤはパンクしていて、タイヤ交換をしな
くてはならなかった。
トホホな気分でのタイヤ交換は、なかなか辛いものが
あった。
その他単独では、ダメージが無いスリップは、それこ
そ何度あったか覚えていないくらいある。

車相手では、スリップして対向車に勢い良く接触した
というのがある。
この場合のスリップは、回転ではなく、横にずれたと
いうもので、結果反対車線に押し出されたといった形
だった。
原因はこちらのスピードの出しすぎ。
相手の車の側面は、フロントからリアまで、きれいに
筋と凹みが付いていた。
これも、トホホな事故だった。
単独ならまだしも、相手がいてしかもこちらが原因と
いうのは、一瞬にして血の気が引く感じで、直後は他
人事のような感覚を覚える。
多分これは、この現実を認めたくないという心理が働
くからだと思う。
この時も、車だけで、人体には影響なかったから良かっ
たが、これがもし人身事故だと思ったら。

こういう経験で味わうぞっとした感覚、この感覚は普
段の運転に気をつける効果もあるだろうし、ひいては
事故抑止力にもなると思う。
しかし、これがまたふっと気が抜ける時があるから困っ
たものなのだ。
本当、人間というのは、集中力が続かない。
そこへ持ってきて、勘でやってしまうことも多い。
縁石にぶつけたりとか、サイドミラーをぶつけたりな
んてのは、しょっちゅう起こる。
まあ、数々の事故を経験して(バイクでは3回ほどあ
る)言えるのは、スピードだけは控えめにした方が良
いということだ。
やはり、これが一番重要であると思う。
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ラット

2008年02月04日 | 生き物 自然


積雪26センチ、しかも、止みそうで止まなかったの
で、その間何度も雪掻きをする。
そして、今朝はマイナス11.5度とかなりの冷え込
み。
まあ、冬だから仕方が無いね。

さて、「メタミドホス」だが、何故かこの名前を聞く
と「ヘロドトス」を思い出す、ということはどうでも
良いが、殺鼠剤として使うことということで、そう言
えば鼠が学習して食べなくなったあの毒餌にも使われ
ているのだろうかと、考えてしまった。
しかし、禁止薬品であることを考えると、日本では使っ
てないのか。
いずれにしろ「メタミドホス」なんて名前がこれだけ
有名になるとは、一体誰が予想しただろうか。
全く喜ばしいことではないが。

で、その鼠だが、このところ我が物顔で、毎夜やりた
い放題で、毒餌には食いつかないしで、ちょっと手詰
まりの状態だった。
何か良い方法はないのかと考えてたのだが、あっさり
捕獲された。
一番シンプルな粘着シートで。
毒餌は駄目だが粘着シートは効果的だったというわけ
だ。
今ひとつ理解できないのだが、どういうことなのか。
単なる油断か。
毒餌はすでに情報としてDNAに刷り込まれ、アナロ
グ情報に関しては、直接親、或いは師匠から教えても
らわないとだめということなのか。
一子相伝の世界。
そういえば、粘着シートにかからない鼠は親子であっ
たような気がする。
何枚も仕掛けて追い込んでも、器用にジャンプして避
けて行った。
あれなど、親に教えてもらったに違いない。
その一族も、どこかに移動したのか絶え、そして今回
の鼠だった。
しかし、やってはみるもんだ。
これで暫くは、糞を撒き散らされることも無い。
飽くまでも暫くなのだが。
いずれ新顔が登場するのは間違いない。
その時に備えて、粘着シートは良いが、毒餌はどうに
か改良しないといけない。
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安全性2

2008年02月03日 | Weblog


今日は一転して雪降り。
気温は、マイナス3度程と大したこと無いが、雪掻き
作業が待っている。
この辺りは、雪に関してはそれほどでもないのでたま
にで済む。
その点はありがたい。
それも、程度(多くて30センチ)問題。
と、先ほど小降りになって止むかなと思ったが、また
勢いを増してきた。
もう降らなくていいのだが。

ところで、大豆の自給率が5パーセントというのは、
かなりのものではないだろうか。
味噌、しょうゆ、豆腐と、所謂日本食の基本となるも
のが殆ど輸入品という現実。
冷凍餃子で騒いでいるが、普段の食べ物で中国に依存
している割合は、どれほどなのだろう。
中国産の大豆がどれほどかは知らないが、兎に角、す
でに多くを中国に依存しているのは間違いない。
中国危険と言う前に、中国産がないとやっていけない
のなら、その安全性を徹底管理するしかないだろう。
当分、激減するだろうが、忘れた頃にはまた復活する
はずだ。
兎に角、値段が一番優先されるので、いろんな手を打っ
てくると思う。
例えば、他の国を迂回してとか。
中国だけが危険のようなことになっているが、日本の
偽装問題だって本質は同じ。
問題は、国ではなく、ちゃんと管理されているかどう
かだ。

その上で、安全性に関してとなると、法的に何の問題
もなくても、他の問題があるのではないか。
例えば、海老。
養殖ものが今や普通だが、抗生物質とか、いろんな薬
品によって生産性を上げる。
しかし、それらの薬品が、人間に対してどう影響する
かは、多分判らないしこの先も同じだろう。
症状が出たとしても、その因果関係は証明できないだ
ろうから。
だから、多分身体には良くないだろう、という推測で
しか言えない。
実際、普段食べているわけだし、それぞれが満足して
いるかどうかは判らないが、需要がこれだけあるとい
うことは、そう見たほうがいいのだろう。
個人的にも、以前は普通に美味しいと食べていた。
ところがある時くらいから、鮮度による臭いではなく、
他の臭いが気になるようになってきた。
要するに、あまり美味いとは思えなくなってきたのだ。
海老の香りとは違う、なにか薬臭いようなものを感じ
るのだ。
これが、それらの薬品による影響なのかどうかは断言
できないが、美味くないというのは断言できる。

この場合、安全性と関連付けることは出来ないが、養
殖ものは不自然な味がするということになれば、結果
とりあえず薬品を使ってない自然なものを求めるよう
になる。
そして、美味しいものが身体に良いと実感する。
と行きたい所だが、絶対的な価格の差と、天然ものの
少なさという大きな壁があるので、まずそうならない。
それに、下手をすると、天然もののほうが危険という
こともありうる。
更に、美味しいと感じるのは人それぞれ。
結局残された道は、危険と思ったら、食べない。
不味いと思ったら、食べない。
このくらいしか無いのではないか。
自分の身体に聞け。
これからは身体の復活だ。
それが正しいのかどうかは分からないが。


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安全性

2008年02月02日 | Weblog


予定通り、今朝7時前より神事をして、諏訪湖の御神
渡り拝観式に行ってきた。
それにしても寒かった。
また、腰痛が復活しそうな気配だ。
寒さが良くないというのはよく言われることだが、確
かに寒いと、腰の周辺の全てがこわばる感覚がする。
それにしても、一の御神渡り(三まである)は、殆ど
影も無いくらいにその存在が薄かった。
つまり、隆起が見えないのだ。
二、三はそれなりらしいが、一だけでこちらは退散し
たので、なんだか唯ぞろぞろ付いていっただけで、歯
応えの無いもので終わってしまった。
単なる寒中我慢大会であった。

そんな神の領域の出来事とは関係なく、世の中は「中国
冷凍ギョーザ」で大騒ぎだ。
中国産の野菜の危険性は、前々から指摘されていたが、
今回の出来事は、様相が違う。
中国国内では、野菜そのものが危険であるというのは、
無いことではないが、日本に輸入するものに関しては、
安全であると言うことではないが、残留していても直
ぐに中毒を起こすほどの量は残っていない(多分)は
ずだった。
今回のケースは、明らかに特殊で、多くの同じものの
中の特定のものだけに入っていたというものだ。
だから、原因を究明するのは、容易ではない。
意図的なものだったら、犯人を特定しないといけない
が、その場合、収束させるために、中国が誰かを犯人
にしたてるなんてこともするかもしれない。
会社に恨みを持った人間の復讐とすると、首を切られ
た元従業員が怪しいということで、その中の誰かを犯
人にすれば、一件落着となる。
これが、中国にとっては一番良いシナリオだ。
個人の反罪で、全体の安全性は損なわれない。

中国から指摘された「日本のマスコミは騒ぎすぎる」
に関しては、中国が騒ぎすぎない(というより出来な
いという事情)というのと、日本は確かにそういう傾
向はあると思う。
一斉に、中国は危険だキャンペーンが始まるから。
食の安全性を問うのなら、まずは足元からであろう。
決して、日本産が安全ではないのだから。
今のままだと、中国危険、日本安全という単純な図式
で終わる可能性が強い。
中国産でも、きっちり管理しているところはそんなこ
とも無いはずだし、逆に日本のほうが危ないというの
もある。
しかし、すでに中国への信頼は無くなった。
一番困っているのは、それに頼っていた、多くの外食
産業および食品会社だろう。
あの中国の会社も、潰れるかもしれない。
もし、復讐であったのなら、目的は達成ということに
なる。
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御神渡り

2008年02月01日 | Weblog


本日の最低気温マイナス8.9度。
再び厳しい寒さが戻ってきた。
が、マイナス10度を下回るほどの寒さではないので、
気分的には、この冬の頂点は過ぎたのか、といった感
じだ。
地元では、諏訪湖の「御神渡り」という氷が盛り上が
る自然現象が最近発生したので、連日ローカル新聞は
その様子を報じている。
その氷の筋を、神様が渡った跡と見立て、その方向に
よってその年の吉凶を占う。
それらの資料は、日本で一番古い気象データと言われ
ている。
明日、神社(八剱神社に資料は保管されている)の関
係者が諏訪湖に繰り出し、観察をすることになってい
る。
と、全くの他人事と思っていたら、どういうわけか参
加する羽目になってしまった。
朝早くから集合して、神事をして繰り出すのだが、見
物するだけならまだ良いが、あまり当事者にはなりた
くなかった。
明日も寒そうだ。
全く気が進まないが、諦めるしかないようだ。

昔は、その氷のせり上がりも1メートル以上と、見ご
たえのあるものだったが、今は30センチがせいぜい
で、今ひとつ冴えない。
単なる、割れ目じゃないか、とも見える。
しかし、神様の跡である。
そうなると、単なる割れ目も高貴なものに見えてくる
から不思議だ(ということは無いが)。
確か、北海道の何とか湖でも同じ現象が見られるはず
だ。
流石北海道だけあって、そちらの方はコンスタントに
立派な「御神渡り」ができる。
北海道の方は、厳密に言えば神が渡っているわけではな
いので(諏訪は諏訪大社という大きな神社がある)、そ
ういう言い方もおかしいのだが、この自然現象をどうや
ら「御神渡り」と言ってるようである。
すでに、一般名詞となっているのかもしれない。

そもそも「御神渡り」というのは、氷の収縮と膨張に
より出来る自然現象なのだが、いろんな、例えば湖の
水深大きさなどの要素が揃わないと起こらないらしい。
だから、珍しい、ということだ。
そこらじゅうの湖で起きたら、神様も大忙しだし、第
一、普通の現象だったら、その有り難味もなくなって
くるというわけだ。
実際は、神主が大忙しで飛び回ると言う図なのだが、
それはそれでリアリティーはある。
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